今までは少し瞑想をして静寂が深まり、日常生活を送っているうちに戻ってしまっていた静寂が、ここにきて、戻りが(更に)とても遅くなり、一応は静寂が深まった状態で日常生活が送れるようになったように思います。
もちろん、そうでない時もありますし、日によるのですけど、割と、この傾向が増えたように思うのです。
かといって、きちんと瞑想をすればその静寂が安定したり細かな箇所で進展が見られますので瞑想が不要になったということはないのですけど、基本としては静寂になったように思うのです。
この状態を鏡で見てみると、割と普通で、特に笑顔が激しいとか喜びに満ち溢れているというわけでもない・・・ というと語弊がありますけど、笑顔といえばそうですが笑顔ではないわけではなく、喜びといえばそうですけど喜びではないわけではなく、不思議な表情になっているように思います。
少し前は感情とスピリチュアルな成長とが割と結びついていたような気がして、一方、ここに来ると、感情と必ずしも一致しない内面の変化が現れてきています。
全体的に感情が高まっていた以前と比べて、静寂になると、その感情が鎮まるのです。
これは同じようなサイクルを数十年前から繰り返していたように思えて、程度は違えども、ゾーンの歓喜で激しい喜びに包まれた一方でそれが安定して感情が静まる、というサイクルに似たようなものが、ここに来ても、そのようなサイクルを再度辿っているように思います。
体の全体が「ストン」と「落ちてしまった」感じ。体がなくなったとまではいかないまでも、感覚的には、体が軽くなった感じです。意識しなければ、体の重さを忘れていたように思います。
これはとても微妙な表現で、肉体のことであれば、体の重さというのを意識している人はあまりいないのではないかと思います。体というのは動くのが普通ですから、重いとかいうのは、肥満とかでない限り、それほど感じないのではないかと思うのです。それが瞑想中であれば尚更で、瞑想中は体のことを意識しないのが普通かと思います。
であれば、ここで体が「落ちてしまった」とはどういうことかというと、比喩として、五感の感覚としては、体に付随しているオーラの汚れを「体の重さ」として認知するように思うのです。実際は肉体の体重ではないのですけど、オーラが澱んでいると体が重くなったように感じられて、実際の体重計の数値には変化はないのですけど、オーラが浄化されて意識が透明になってくると体が軽くなったように感じられて、実際には、それは肉体のことではなくてオーラの感覚なわけです。そのことを昔からスピリチュアルや瞑想の世界では「体がなくなった」というように言われてきたわけです。そのように思います。
言葉の表現で言うと似たような状態に以前から何度かなってきたわけですが、その度に、静寂の深度が段階的に深まってきているわけです。