宇宙人と地球人の魂の見分け方

2024-02-22 記
トピックスピリチュアル

普通に暮らしている人の中にも、宇宙由来の魂と地球由来の魂とがあります。その簡易的な見分け方は以下の通りです。

・地球由来の魂
 不愉快なことがあるとイライラし始めてキレたり怒鳴りつける。

・宇宙由来の魂
 「怒り」というものを、そもそも知らない。

これが、一番簡単な見分け方です。

スピリチュアルをやっていると自分がプレアデス出身だとかシリウス出身だとか自称する人が大勢いますけど、自分のことをまず顧みて、幼い頃の、スピリチュアルなんて何も知らなかった頃に自分が上記のどちらかだったかを見てみると良いと思います。大抵の場合は地球由来の魂で、宇宙由来の魂はあまりいません。ですけど、あまりいない筈なのにスピリチュアル好きな人で自分が宇宙由来の魂だと思い込んでいる人が大勢います。

地球で暮らした時代が長くて地球人の獣のような人たちと接する上でイライラを溜め込んでしまった宇宙由来の魂もありますけど、大抵の場合で上記の分類が当てはまるわけです。

これは割と不都合な真実で、人を集めて集客してプレアデス由来の人たちの集まりだとかシリウスだとか色々とその気にさせてセミナーの参加費を集めている人がぼちぼちいますけど、そんな場合でも、地球由来の魂が、何となくそれっぽいことを言われてその気になっているだけなことが大半です。そもそも、本当に宇宙由来の魂であればそんなセミナーでその気になる以前に自分でそれなりに自覚があると思います。本当に宇宙由来の人がその種のセミナーに参加したら、その違和感にすぐ気がつくと思います。本当に宇宙由来の人もいますけど、それほど多くはありませんし、むしろ、宇宙由来の人は逆に「それっぽくはない」のです。地球由来でスピリチュアルやっている人からしたら、本当に宇宙由来の人は「ぼおっ」としていることが多く、「スピリチュアルのことを全然わかっていない、凡人」に見えます。ですから、地球由来の魂で、それっぽく思い込んでいる系のスピリチュアルをやっている人からしたら、宣伝されている宇宙人の姿と違いすぎて、それと判別できないわけです。

ですから、外見や仕草では、宇宙人かどうかを見分けることは困難なわけです。宇宙由来の魂は、この荒々しい地球で暮らしていて、基本的に「疲れて」います。ですから目線も「ぼおっ」として眠たそうにしています。一方、地球由来の人がスピリチュアルをする場合は、あたかも神様や仏様、女神様のようにキラキラしたものを追い求めていて宇宙人にもそういう姿を求めますから、イメージと合わないのです。

ですから、地球由来の魂と宇宙由来の魂を見分ける、一番簡単な方法としては、必ずしもそうでない場合もあるにせよ、大抵の場合は、上記の方法で見分けがつくのです。

地球由来の魂というのは猿から進化した獣が元ですから、基本的に乱暴で怒りを内に溜めており、不満がない時は平穏であっても自分の思い通りにならなかったりするとイライラし始めて、怒りの沸点が低くい場合もあればそれなりに我慢強い場合もありますけどどちらにせよキレるだけの沸点があって、怒りの沸点に達すると他人に怒りを強烈にぶつけます。それは獣としての本性であり、それが地球人たる所以です。

一方、宇宙由来の魂は、宇宙人と言っても色々ですけど、基本的には、怒りを知らないのです。ですから、特に幼い頃は、周囲の地球人がイライラしたりキレたりすることに、とにかく翻弄される人生を送るのです。そして、それなりの年齢になってから、例えば成人する頃にようやく少しだけ怒り方を学びますが、そもそも怒るということに慣れていないため、しっかりと怒ることができないのです。頑張って怒っても変な怒り方になるので、地球由来の魂から見ると、とにかく「変な人(が怒っている)」ように見えて、全然怒っている風にならず、怒っても逆に(地球由来の魂に)ゲラゲラと笑われて終わるだけになり、怒ったことに全然ならないのです。地球人由来の魂からすると宇宙由来の魂を持った人は単に「変な人」というだけであり、よって、スピリチュアル的にも「尊敬の対象」にはなりません。

スピリチュアルで宣伝されている宇宙人のイメージとは本来の姿ではなく、地球人の魂が「(自分が)なりたい姿」に最適化されていると言えます。それは、「強い自分」であり、「獣としての王者の姿」「獣としての強い女神」の姿です。神話などで出てくる雄々しいイメージと、強くも優しいイメージとがかけ合わさっているわけです。そいう姿は、実際の宇宙人の姿とは大きくかけ離れています。

そもそも、宇宙人は、争いを知らないのですから、獣のイメージを宇宙人と掛け合わせるのは失礼なものです。とは言いましても、宇宙人も色々ですから地球人がそのまま宇宙に出たら争いを宇宙に広げることが明白なように、そのような意識のまま宇宙に出るテクノロジーを得てしまった宇宙人もいます。ですが、基本的には、宇宙人は争いを知らないわけです。ですが、争いを知らなくても宇宙人はもちろん武装しています。宇宙には色々な種族がいますので、敵から守るために武装しているのです。ですが、その武装と、争いの心とは別物なのです。

特に、宇宙人が地球の衛星上から地球の人を観察する場合、一番、強く印象に思うのが「地球人は怖い」ということです。宇宙から観察すると、地球人は簡単に他人を傷つけるということに気がつきます。地球人の側からするとそんなことないと思っていたりしても、物理的にだけでなく、怒りの念によっても他人を傷つけているのです。毎日、地球人は他人に対して怒りをぶつけながら生きています。それが物理的に傷つけるということに発展しなくても、念で他人を傷つけているのです。それは他人のオーラを傷つけ、肉体にできた傷跡と同じように、オーラに傷を残します。地球人のオーラは、傷跡でいっぱいなのです。

少し前の時代であれば戦場に出た人が体に傷跡をたくさんつけている、などということも時にはあったでしょう。今の時代においても、他人から傷つけられたオーラによって傷だらけのオーラになっている人は大勢いるわけです。まだまだ、戦いの絶えない時代であると言えます。

地球人がロケットを作って宇宙に達したと言っても、心の面で他人を傷つけないようになるまでは宇宙人は地球人を受け入れたりはしません。そうなるまでは、基本的には見守っているわけなわけです。

地球に転生した宇宙人は基本的には観察ということが目的になっていて、観察が使命でしたり本人の興味だったりしますと、地球の運命に関わるような関与は基本しないわけです。宇宙には非干渉の法則があって、各惑星の自由は自発的な成長に委ねられていますから、実のところその惑星に転生した場合はその非干渉の法則の例外として一応はその惑星の運命に関わることができるのですが、それでも、基本としては宇宙由来の魂は惑星の運命に関わらないわけです。

であれば、宇宙由来の魂が地球に転生して、女性ならばある程度守られますので女性を選ぶことが多いように思います。一方、男性を選んだ場合は地球由来の男性から執拗に攻撃されて傷つくことが多く、そうなると、落ち込んでいたり傷ついて神経衰弱に陥って「ぼおっと」としていることも多く、ぜんぜん宇宙人に見えないわけです。

スピリチュアルでの教訓で言われていることで「悟るまでは他者を判断できないので、他人を評価するのはやめなさい」というお話があります。これはなかなかに意味深な教訓で、たとえばとある人の実例ですと、ある日やってきた人が「おかしな人」に見えて心の中で小馬鹿にして見下していたのですが、その人が実はスピリチュアル的に大変優れていて霊視・透視・リモートビューイング、過去や未来を見通したり霊的な知識も豊富だったりして、最初は小馬鹿にしていたその人は驚いて、自分の見識のなさを恥じた、ということがありました。そのようなことは、そこまで極端でなくてもスピリチュアルあるいは普通の人生の中でも普通に起こっているのです。

宇宙由来の人は争いを知りませんから地球由来の魂に怒鳴られたり命令されたりして、その宇宙由来の魂の本来の能力を持て余して現世利益のために使役されていることも多いように思います。そのように、地球由来の魂が宇宙由来の人を搾取することで利益を得る状況においては、宇宙由来の人が「疲れた顔」をしているのも納得なわけです。そのように使役されて疲れていたら、全然「スピリチュアルに優れた素晴らしい人」には見えないことでしょう。

一方、一般の大衆が描いている「スピリチュアルに優れた人」というのは「王者」であり「勝者」であるわけで、それは、本当にスピリチュアルが優れているというよりは、地球由来の獣の魂が勝ち残って勝者になることを自身が夢見ているということであり、そこまでいかなくても、他人を搾取するための都合の良い言い訳を探しているだけであると言えます。

実のところ、そのような背景があるが故に、「良い未来を引き寄せる」などと聞こえの良いことを言いつつも実は勝利したいだけ、というスピリチュアルが多くあって、それは完全にゼロイチではなくて、本人もわかっていなくてやっている場合も多々ありますので中間的なところということでは多少の意義がありますけど、本質ではないわけです。

そのような、「勝者になるためのスピリチュアル」というのは、地球で生きるためのある程度の処方箋にはなっても、本質ではないわけです。

宇宙人が地球にコンタクトをしても、いつも、地球人は自分たちが(地球上で)勝利するためのノウハウや技術を手に入れようとする、とは宇宙人の嘆くところです。物理的な面においてもそうですし、スピリチュアルな面においても、結局は現世をうまく生き抜いて自分の望む豊かな未来を引き寄せようという、自分本位の小さな欲望の中に留まっていて、地球規模の争いを防ぐというところにまで全然到達していないわけです。

本質はというと、戦いを放棄すること。怒りを放棄することであるわけです。それができなければ、地球はリセットされてしまう可能性があります。そうならないためにも、戦いを放棄することで地球人の獣の魂が一歩成長して宇宙人の仲間入りをする準備ができるわけです。

それでも他者がいますので守るための武装は必要ですが、実のところ自分が武装しなくても警察やら何やらに守ってもらうという方法もありますので、やるにしても自衛程度に留めて、基本は、戦いの放棄、怒りの放棄、というところにフォーカスした方が良いわけです。本来ならば、自分の中で平和な心と自衛のための心とを統合して行ければその方が良いのですが、現代においてやりやすいのは人によって役割を分けるのが現実的であるわけです。世界には色々な人がいますから、獣のような人と必ずしも対峙する必要はないわけです。

ちなみに、ここに書いたことには例外があって、宇宙由来の魂が地球の生活を送る上で「怒り」を学ぶというのは一つのレッスンでありますから、その目的のために「地球人のオーラの一部を自分に取り込む」ということをして怒りの感情を取り入れることがあります。それは学びでもありますけど地球人の獣のオーラを取り入れることで、神話に出てくるような半獣半神のような状態になり、内に取り入れてしまった獣の部分に苦しむことになります。とは言いましても、時間が経つにつれて(取り込んでしまった)自分の内なる獣の部分を制御して平穏なところに戻ることができます。

例外を加味した上でも、地球人と宇宙人を見分ける基本的な方法は「怒り」があるかどうか、という1点でほとんどの場合は判別できるわけです。

いくらスピリチュアルを標榜していたとしても、(フリで怒ることを除けば・・・ とは言いましても、フリで起こるのはあまり賢いやり方ではありませんけど)基本的には、(すぐに)怒るかどうか、怒りの沸点が低いかどうか、怒りの沸点が高くても、どちらにせよ怒るかどうか、この全てにおいて、怒りの感情を発することができるならば基本的には地球人だと判定できるわけです。

怒りと似た感情で、イライラや不機嫌、というのは微妙なところで、地球に長く住んでいる宇宙由来の魂でもそういう不機嫌になることはあります。でも、地球由来の魂と宇宙由来の魂が決定的に違うのは、怒りを知らない、という点であり、宇宙由来の魂はイライラしたり不機嫌になってもブチギレるということを本能的に知らなくて、そのような感情に結びつかないのです。宇宙由来の魂は、ただ単にイライラしつつ(怒りにはならず)内に秘めてしまい、そのままメンタルを壊すわけです。一方、地球の魂は、イライラしたらブチギレて怒鳴りつけて誰かに欲求不満をぶつける事で気持ちを落ち着かせようとします。この辺りが決定的に違うわけです。