瞑想の静寂と観察が日常生活により一層、定着した

2024-07-06公開 (2024-04-15 記載)
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

瞑想の安定感が一つ上がり、静寂と、特に観察が瞑想で座っている間だけでなく日常生活においてもレベルが1つ上がった形で定着したように思います。これは何段階もあるお話ですのでこの以前にもいくつもあったわけですが、今回も、一つ、段階が上がったわけです。

少し前であっても瞑想としての「観察」の要素がそれなりに安定してきた、と思っていたわけですけど、言葉としては同じでも、その同じ観察の要素が、一つ、少しだけ深く、少しだけ安定度が高まったわけです。スポーツや学習でも何でもそうだと思いますが、ある程度までプラトーがあって壁にあたっていて、ふとした時にその限界を超える感覚がありますけど、それと似たようなものがあります。

今まで、過去にあった同様の突破は割と激しいものだったように思いますが、ここに来るとその変化はとても微細で、ほんの少しといえばそうですけど、そうは言いましても、その変化はとても大きい変化だ、と言うこともできます。

これは、動きが激しくなるというときは掛け算あるいは足し算で大きくなっていきますので変化量が大きくなるわけですけど、瞑想の静寂というのは割り算あるいは引き算で次第に動きが微細になっていくものですから、段階を超えるごとに、限界を超えるごとに、その変化量は小さくなっていくわけです。ですから、表現として、変化としてはほんの少しではありますけど、その限界突破としては大きな変化だということもできるわけです。(絶対量としては)小さい変化であっても、それは(意義として)大きな変化なわけです。

このような変化の大元は何だったかというと、ここしばらくずっと続けている頭の中の緩み、それが一定に達したからではないかと思うのです。エネルギー(ヨーガでいうプラーナ)が頭の中に留まりやすくなり、瞑想を始めるとすぐに頭の中に圧力を伴って充満するようになって、エネルギー的な澱みが次第に減っていって一つの段階を経た結果、このような変化が起きたように思うのです。

頭の中の緩みはまだまだ完全ではなくて頭だけでなく首も硬い状況ですので更に緩めていきたいと思います。