闇のオーラを夢で経験し、闇落ちをしている人を助ける発起を得る

2024-03-20 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

コロナ明けの不調の状態で夜寝ていたら、夢の中なのか何なのか、とても調子の悪い、何をやっても失敗だった夢を見た気がします。その時の、夢の中の自分は、割と懐かしい、子供の頃に鬱だった時はこんな感じだったかな、という感じの、闇のオーラでした。夢で見た時にはおそらく10分とか30分とか、その程度だったかとは思いますが、子供の頃は何年いや十年以上にわたって闇のオーラを抱えていたように思います。今でこそそれは闇のオーラだとわかるわけですが、当時は、単に、鬱だと思っておりました。その話は以前にも少し書きました。

その、闇のオーラに包まれている時、過去の、様々な記憶が蘇ってきました。と同時に、闇のオーラに包まれている他の人に対する、とある理解を得ました。

元々は、闇のオーラの人は相手にする必要がない、という考えが基本にありましたが、今日の夢で得た理解としては、闇のオーラに包まれている人は、立場が違えども、実は助けを求めている、必ずしも闇の人ではない、ということです。放っておくべき人が、実は、助けるべき相手だ、ということです。とは言いましても、本当に助けられるかどうかは程度によるわけですが、自分の助けられる範囲で助けるべきだ、ということです。

思えば、子供の頃、単に鬱と思っていつつも実は闇のオーラにずっと包まれていて、その闇のオーラというのは「悪」ではないのですけど、混沌とした、ヨーガでいうタマス(愚鈍)なオーラであり、「動きを鈍らせる」種類のオーラなわけです。おそらくは、闇のオーラに包まれている人が鬱と言われ、その鬱が極限に達すると悪になると思うのです。ですが、どちらも助けるべき存在なわけです。

今日の夢を見る前は、闇のオーラとは関わらない、という、仏教やヨーガで言われている「不道徳な人とは関わらない」という原則が正しいと思っておりました。確かにそれは、自分が対処できない未熟なうちは正しかったのかと思いますし、自分のことすら自分で対処できないうちは、それが正しい答えだったのかと思います。操られるような操作・依存関係であれば離れた方が良いというのはそうだと思います。ですが、自由でいられるのであれば話は違ってきます。

今となっては、そのような闇のオーラをまとっている人を、可能な限りで助けるべきなのではないか、という理解に変わりました。

実のところ、私が夢の中で自分自身が子供の頃の懐かしい闇のオーラの状態になっていたのは、そのことを気づかせるためだったのではないかと思うのです。子供の頃、私は「助け」を求めていて、でも、その助けというのは十分には与えられませんでした。世間には私の若い頃のように闇のオーラに包まれていて助けを求めている人がおそらくは大勢いて、その人たちを助けることができるのではないかと思うのです。

あの苦しい闇のオーラに囚われていて苦しい人の気持ちがかなり久々に感じられ、「そういえば、昔は、こんな感じで苦しかったな・・・」と思い出し、「こんなに苦しい人を放っておくというのは、人として、怠慢なのではないか。助けられるのであれば、助けるべきなのではないか」と夢の中で思ったのです。

今までは、仏教やヨーガでいう「不道徳な人とは関わらない」を原則としておりました。

それが、この夢の中で、「闇に堕ちている人を助けなくてはならない」という気持ちが芽生えたのです。

そうしたら、夢の中の私がふと闇のオーラから離れて、割と平常な状態に戻りました。とは言いましても、まだ本調子ではありません。まだ中間的な状態です。

夢はまだ続いて、私が闇のオーラをまとっていた若い頃に、邪険に扱われたであろう場面の記憶が次々に蘇ってきました。

そこで、更に理解が生まれます。「そうか。あの人たちは、闇のオーラをまとっていた私を避けていた、ということか」ということだったとわかると、それらの、私に対して酷い扱いをしてきた人を許す気持ちが生まれます。

当時は、精神的に未熟な人同士、避けあっていただけだったのです。そしてその不和が発展すれば争いにも至るわけです。

そのような記憶を幾つも夢の中で見たのち、ようやく今の平穏なオーラの状態に戻ってきました。おそらく、今後、更にオーラが光り輝く自分というのもあるのでしょう。しかし、少なくとも、現状の今よりも低いオーラの人は助けることができるわけです。

今後、そういうことをしていっても良いのではないか、という理解がこの夢の中で生まれました。

昨日までは、人と人とは独立することが基本、という考えでした。そして、人を助けるのは悟るまではすることができない、という割と完璧主義でした。ですので、まだ自分は人を助ける段階ではない、と思っていたわけです。

思えば、以前にも似たような理解を一応は得ていたように思います。ある程度までは個人として不道徳な人との関わりを避けた方が良い、ある程度になったら不道徳な人に影響されることが少なくなるので人との交流を増やすべき、という分岐点にはかなり以前に達していたように思います。良き人との関わりは常に必要でしょうし、そのような区別と分別は不道徳な人との関わり方のお話なわけで、程度問題ではありますが、スピリチュアルな成長をするにつれて人との交流が容易になると思うのです。不道徳な闇のオーラを纏った人と会っても疲れたり吐き気がしたり体調不調にならなくなってゆくのです。

この夢で得た理解により、今日思うのは、(自分がまだ悟っていなくても)自分よりも目覚めていない人を助けることはできるのではないか、ということです。それは知識でも良いですしヒーリングでも何でも良いですが、闇に堕ちている人をそれなりに相応に救うことはできると思うのです。

何故に夢の中で過去の闇を再体験したのか不思議だったのですが、どうやら、この理解を得るためだったようにも思います。

一見すると似ているように見えるものの別物の体験として、昨年、過去の記憶を思い出しつつカタストロフィーを得た時は実際に闇のオーラを再体験したわけではなく、愛による浄化だったように思います。

一方、今回の夢の中では、実際にその若い頃の闇のオーラそのものを再体験したわけで、かなり久々にその闇のオーラを実際に体験したわけです。すると、「これほどまでに若い頃は辛かったのか」ということを改めて感じたわけです。若い頃に感じていた闇のオーラですので実際にそれとわかるわけで、間違いはなく、確かに若い頃はそんな感じの闇のオーラをまとっていたように思います。そうなると、その辛さを短期間ながら体験したことにより、「あの辛いオーラで苦しんでいる人を助けるのは喫緊の事態なのではないか。助けないのは、人として間違っているのではないか。」と夢の中で思ったのです。

世間でイライラしながら暮らしている人は「不道徳だから関わらないでいるべき人」ではなく、「闇のオーラで苦しんでいるので、助けるべき人」という理解に変わったのです。夢の中で若い頃の「闇のオーラ」「鬱のオーラ」をわずかながら再体験して通り抜けた結果「闇に堕ちている人々を救うべき」「あのような苦しい精神状態の人は助けを求めている」という新たなる理解を得たわけです。

ここ数十年忘れていた闇のオーラを感じた結果、敵対あるいは畏避する相手としてではなく助けるべき相手として闇のオーラを認識し始めたわけです。

そうなれば、今まで私が重要視していなかったヒーリングも、その手段の1つとして使えるかもしれません。

今すぐ自分が何かできるというほとでもないですが、今後の方向性が出たように思います。