未来予知は行動して初めて実現する

2024-04-21 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

このことは時折言われていて、実際に行動しなければ未来予知は当たらないわけです。

いわゆる過去生の記憶のようなもの(グループソウルの分霊から引き継いだ記憶のかけら)に基づく具体例としては、インドでグルをしていた時に相談にやってきたお婆さんに「その願いは実現する」と未来予知して回答したら物凄く喜んだが、行動しなくて家に篭って喜んでばかりいたら実現しなかった、何故なら行動しなかったから、ということがありました。

この種のことは、幾つかの段階があるように思います。

▪️自分で見る場合
・未来予知が全くできない人
・未来予知が少しはできるが行動しない人
・未来予知ができて、行動もする人

▪️誰かに見てもらう場合
・未来予知をしてもらわない人
・未来予知をしてもらっても真に受けず行動しない人
・未来予知をしてもらって、行動もする人

これはスピリチュアル的な観点ですが、一般的な成功哲学では以下のように解釈されると思います。

▪️自分で考える場合
・成功の道筋を自分で考えられない人
・成功の道筋を多少は考えられるが行動できない人
・成功の道筋を考えられて、行動もできる人

▪️他人に考えてもらう場合
・成功の道筋を他の人に考えてもらうことがない人
・成功の道筋を他の人に考えてもらっても真に受けず行動しない人
・成功の道筋を他の人に考えてもらって、行動もする人

これは一般的には別物と考えられがちですが、実はこれは同一のことを言っていて、解釈と表現は異なるが同じことなわけです。

スピリチュアルな人の場合は未来予知という側が強く出ていて、行動の側面が弱い傾向があるように思います。
一方、成功哲学の人は行動に重きをおいていて、未来予測・成功の道筋を立てるという側面が弱い傾向があるように思います。

そのように、傾向の違いはあれど、どちらにせよ、成功を見据えて未来を予知あるいは計画を立てて、それに基づいて行動する、というところは共通しているわけです。

▪️私、個人に当てはめてみると

私の場合、どうも、未来予知という方に随分と偏っていたように思うのです。そしてここに来て、つい昨夜もそのことに改めて気が付かされて、未来予知できたところで行動しなければ未来は開けない、という認識が私自身の将来と重なったのです。行動しなければ私の未来は実現しない、行動して未来を創り出すための未来予知であって、もう未来予知はとりあえず十分で、行動が必要、というのが今の私の段階のようです。

たいそうなお話になってしまいますが、例えば、私が行動しなければ私自身の覚醒はおぼつかない、というのは個人的なお話ですけど、それ以外にも、私が覚醒しなければ地球は滅亡、みたいな感じもしていて、実際にはこういうのは大袈裟に感じられることが多くて、私一人が地球の運命を左右するなんて言い過ぎですけど、要は、多くの人が目覚めなければ地球は危うい、ということだと解釈しています。おそらくは、多くの人が同様に語りかけられているものの覚醒がおぼつかない、という現状なのかなと思います。

思えば、神様のお気持ちも少しは伝わってきていたことを思い出しました。私だけでなく地上の人々に対して幅広く呼びかけをしているものの、伝わらない。仕方がないので分霊を下ろしてジャンヌのように直接運命を変えることもあるものの、基本的には神様は皆がそれぞれ変わっていって欲しいと思っている。未来予知にしても、ジャンヌの例のように、行動しなければ未来は作られず、予知した上に行動したからこそ未来が拓けたわけです。

この辺り、私の認識が甘かったようで、それなりに行動すればそのうち実現する・・・ というくらいの緩い考えでいました。行動するには決意も必要で、その時、エゴがあると妨げになりますのでエゴの排除・克服は必要ですけど、エゴを乗り越えた上で未来のために、使命のために行動する、邁進する、という態度がこれからは必要のように思います。

それらのことに、最近は気付かされたわけです。

人としての意識が、まだまだ神の意識に近付いていない状態ですとどうしても「神あるいは内なる意識からの指示・インスピレーションを受ける」という、受け身の姿勢になってしまうように思います。その時に、内なる指示を真に受けて行動すれば良いですが、スルーしてしまう場合も多いわけです。

一方、神の意識そのものとまでは行かないまでもそれなりに純粋になって神様の意識を汲み取れるように(次第に)なってくると、そのうち、神様の意識の一部だけでも「自分の意識」として認知できるようになってきて、その状態では、成功の道筋あるいは将来の予測というものが自らの意識そのものとして感じられることができて、感じるという受け身の状態だけでなく、自らの意識の能動的な面においても神様の意識の一部と同一化しているため、(全てではないですが)自ら考えたことが将来の計画あるいは予測にそのままなるわけです。

これは引き寄せの法則とは違っていて、引き寄せるのではなくて、神の意識(の一部)が計画を立てて、それに基づいて行動するわけですから、成功哲学の方が近いわけです。一般的な引き寄せの法則というのは知らないところから現実を呼び寄せるということかと思いますが、そいうことではないわけです。

予測というよりは未来の計画を立てて行動するわけです。論理的な顕在意識からすると未来予知ですが、神意識(の一部)からすればそれは能動的な未来の計画であるわけです。まず神意識(の一部)が計画を能動的に立てて、論理的な顕在意識は受け身でその計画を受け取るわけです。その後、その計画に従って実際に行動することで成功が実現します。もちろん想定外のことや失敗もありますけど、神計画に従うと成功確率は高いわけです。

この認識に立つと、「自分が行動する」ということの意味が、今までのように「未来予知を実現するためには行動しなければならない」みたいな甘いものではなく、能動的に、自らが積極的に関わって創り出すものだ、ということがわかるわけです。

これらの認識を昨夜、新たにしました。今までの私の認識が甘かった、ということを確認しました。今までの努力と行動では足りず、何倍にも行動しなければ理想の未来はやってこない、ということが認識できたわけです。