アセンションはあるのかどうか

2024-06-22公開 (2024-06-13 記載)
トピックスピリチュアル

スピリチュアル業界では2012年のアセンションが騒がれて、結局何も起きずにノストラダムスや2000年問題の時のような喪失感だけが広がったように思います。これらを謡っていた人々は信用を失い、そして、支持者を失っていたように思うのです。

以前にも少し何度か書いてきたかと思いますが、私の現時点でのアセンションへの理解を記載しておきたいと思います。

型として、まず2つあるように思います。

・レムリア型アセンション
・統合型アセンション

それぞれの型について簡単に述べたいと思います。

■レムリア型アセンション
物理世界(とそれに近い粗雑な意識)と高次の世界(微細な意識)の分離。物理的な世界では大災害あるいは文明の破壊あるいは構造的な崩壊が発生し、その一方で、分離した高次の意識がアセンションして別の世界、高次の別の世界(次元)に多くの人々の(高次の)霊体が移行し、生き続ける。それぞれの世界で、それぞれの、分離した意識が(どちらも死ぬことなく)生き続ける。

この場合、3パターンあります。
1)1人の意識(魂)すべてが、物理世界(に近い世界)、崩壊する世界に取り残される場合。悲しくて、惨めで、分離感があり、重々しく、無知な状態。
2)1人の意識(魂)すべてが、高次の別の世界(次元)にアセンションする場合。喜びに満ちあふれ、エネルギーが高まり、意識がクリアで、軽やかで、輝いている状態。
3)1人の意識(魂)が分離し、1人の中にある低次の意識と高次の意識がそれぞれ上記のようになる場合。分離したそれぞれの意識は、元々は同じ1つの意識だった筈でも、それぞれ、全く違う意識状態になります。分離する場合、片方は惨めで悲しくて、それでいて、もう片方は輝いていて喜びに満ちた状態になります。

■統合型アセンション
分離なく高次(の意識)まで認知が広がる。1つの意識としての統合系。場合によっては物理層の下限が上がってふわふわした半物質に近い世界になる可能性もあるが、物理層は変わらない可能性もあり。どちらにせよ、高次(の意識)と物理層の分離はしない。

おそらく、レムリア型のアセンションが元々計画されていた、あるいはその流れにあったように思うのですが、それが現在は(神様の意図により)破棄された状態なのではないかと思うのです。元々は大災害が起こる想定でした。しかし、そのように大災害を起こしたとしても(以前に書きましたように)生き残った人が選民意識になってしまうのです。UFOが助けに来たりして文明復興の手助けもなされますけど、生き残った人の中には「めんどくさい、自尊心が強めのスピリチュアルな人」が多数いて、そのような人が作り直す世界ですから、そこまで良い世界にはならないのです。そのような(未来の)世界のひな形を見た神様は「あぁ、大災害を起こして再スタートするにしても、このような人たちが作る世界になってしまうのでは、意味がないな・・・」と思って大災害型は止めたのでした。おそらく、その時、アセンションできる人はアセンションする筈だったのではないかと思うのです。そして、残された(自尊心が強くてヒステリーで面倒な)人々が社会を再構築するということは、またしても同じような世界が出来上がるということで、それは神様は好まれなかったようなのです。

それに、レムリア型はアセンションできた人は良いのですが、できなかった人の意識状態は悲惨で、「取り残された、悲しい、見捨てられた、希望がない、絶望、無知、暗い、重い、足取りも動きもすべてが愚鈍、生きる意味を見いだせない」という状態あるいはそれに近い意識ばかりが地上に残されてしまうのです。これらの人を見捨てずに、統合型で全ての人(の意識)を助けることができないだろうか、ということが神様の意図のようです。

そのように、現在は、統合型アセンションを目指されているように思うのです。これからの世界では物理的な世界と高次の世界とが統合され、仙術や呪術などがより一般的になるように思います。

それは、レムリア型とはまた違った、この世界でアセンションできる人がそれぞれ時期がきたら人ごとに異なるタイミングで意識が上昇、広がっていく世界になるのではないかと思います。

基本は、意識の分離が起こらない方向に世界は向かっているように思います。そうすることで、惨めな意識が(分離されて)取り残されないように意図しているわけです。

ただ、そうは言いましても、意識の分離が激しい場合は分裂してしまいます。人の魂としては、どうしようもなくなったら意識の分離(そして高次の部分だけがアセンションする)というのが最終手段ではありますが、そうなると、残された方の意識としては、絶望しかありません。そうならないためにも、各自が精神修養するなりして成長していくことが(自らの内面から)求められているわけです。

現在、元気に生きていると思っている人や、たとえスピリチュアルに優れていると自分では思っている人であっても、内面に葛藤や問題があって結果として意識の分離をしてしまうと高次のクリアな意識と惨めな意識とに分かれてしまい、高次の方は良いですけど低次の意識のその後はとても悲惨なことになってしまいます。どちらも自分の意識でありますから、分離型にならないよう、自分の内面の分離を精神修行によって育てていくことをお勧めするわけです。

意識が分離した場合、何か、自分の中で足りない状態になります。それは「レッスン」あるいは「やるべきこと」「あるべきもの」であったりします。どちらにせよ、満たされない状態になるわけです。分離した低次の意識の場合は惨めで苦しい人生で、一方、分離した高次の意識にしてみても本来は低次の意識によって理解が進んだ部分がすっぽりと抜け落ちてしまった状態になりますから、それはそれで、意識としては不十分なものになってしまうわけです。高次の意識だけになれば必ずしも良いというわけでもなく、何か、すべきこと、理解すべきが残っている状態で分離してしまうと、低次の意識について理解が足りない状態になってしまいます。そうなると、また、低次の意識をどこかで学ぶ必要が出てきますが、そもそも、最初から意識を分離させずに学びきれば良かったわけです。高次にもレッスン・学びがありますし、低次にもあります。それらをまんべんなく学ぶことで分離のないアセンション、破壊や大災害のないアセンションへと進めるように思います。