エゴを指摘して直す、という取り組みは大抵は失敗する

2024-06-18 記
トピックスピリチュアル

スピリチュアル団体によっては、先生(あるいはグル)が新参者のエゴを揺さぶるような嫌なこと(直視したくないこと)をズバズバと言うことで弟子のエゴを早く解消させようということをしている団体があります。これは、私は幾つかの団体で目の当たりにしたわけですけど、私が知る限り、そのどれもが失敗していて、変な皮肉っぽい意識がその団体に残ってしまうように思うのです。そして、それが見えないヒエラルキーになって、一部の人に逆らえない状況になります。平等と謳っていてもそうなってしまうのです。

まず最初に、先生(グル)が変な皮肉っぽい感じになってしまいます。そして、それを見習う弟子たちも、更にその後輩に対して同じような態度を取るようになってしまいます。結果、本当の意味においてエゴを解消することには至らないように思うのです。一部の人はそれで解消するわけですけど、一部の人は皮肉っぽさが残ってしまうのです。そして、それがヒエラルキーの元となります。

更には、そのような団体で顕著なのは、自分が感情的になって爆発したときに「これは、エゴを指摘しているだけだ」みたいな、「言い訳」に使われてしまい、当人の(瞑想の)静寂が深まっていないことをごまかしてしまうようなドグマにはまりこんでしまうわけです。イライラしてキレた時も同様に「いいわけ」を探してしまい、本当に解消していないのに時間が経つにつれて指導者的な立場に上がってしまうわけです。

私はいつも、この種の状況に遭遇すると「めんどくさいなあ」と思ってしまいます。そんなことをしなくても、単純に本質だけを言えばよいわけです。あるいは、みんなで瞑想をすれば良いと思うのです。瞑想をすれば、自身のエゴが残っている人は自分でそれに気がつきます。そんな、わざわざ指摘してエゴを浮き上がらせて、みたいな面倒なことが効く人は少ないと思うのです。そんなことをしても、逆に、変な教師(グル)だ、と思われるだけのように思います。特に現代はそれが顕著だと思います。

結果、その団体にヒエラルキーが生まれます。エゴは多少は解消するのはそれはそうでしょうが、ヒエラルキーが生まれてしまうことの方がやっかいで、先に参入した人が上になって、そこにぶら下がる形になります。これは解消が厄介で、ブッダはヒエラルキーを作らなかったとも言われていますけどスピリチュアルの団体で先輩後輩のヒエラルキーができてしまうと本当のスピリチュアルのレベルではなく先に入った方が幅を効かせてしまい、スピリチュアルな成長が阻害されると思うのです。そのようなところも「めんどくさいなあ」と思う点であります。

結局、エゴを指摘しようとしても効果は限られていますし、変にヒエラルキーができてしまったり、団体に属する人に皮肉っぽい癖がついてしまいますので、あまり良い取り組みではないのでは、と思います。