とある人から伝え聞いたお話です。本当のことかどうかはわかりません。
かなり昔、その人が、魔法の儀式に大人数で参加していたようです。詳しい内容は秘密だそうですが、その儀式はエジプトの愛の女神イシス神を呼び出して愛を育てる、というお題目だったようです。
その人は術は知らず、参加者だったそうですが、儀式が始まり、あらかじめ魔方陣やら召喚のための儀式などは済ませた後、その人は会場に呼ばれたとのことです。
そして、そこで様々な言葉を復唱させられたのですが、その時、単語として、明るい輝きを意味する言葉が入っていたのですが、その人が復唱する時、なぜか、その皆の復唱に合わせるように、被さるように、普通の耳には聞こえない言葉で、特殊な、霊的な言葉で、その単語の逆の言葉、その言葉をここにそのまま書くとこれを読む人のところにもその逆のものを呼び寄せてしまうために具体的なその言葉は書けないのですが、とてもシンプルな言葉で特に難しいこともなく、普通の言葉なのですが、その単語が、響き渡るように被さって霊的な耳でもって聞こえたそうです。
その人は、何だろう、これ・・・ と思って不思議がっていたようですが、儀式を続ける人は何事もなかったかのように続けていったようです。そして、いよいよイシス神を呼び出す・・・ となった頃、そのイシス神を呼び出した後なのか前なのかは聞きませんでしたのでわかりませんが、そのくらいになったとき、ふと、黒いモヤモヤとした影のようなものが空中に見えて、何だろう・・・ と思っていたら、山羊の頭、クルクルと回転した角のようなものを持つ山羊の顔と首から少し下くらいまでが見えたようです。
儀式をしているときは深く考えが及ばなくて、なんだこれ・・・ と思っていたくらいだったようです。ですが、後から振り返って見れば、山羊の頭というと、あれは悪魔だったのでは、と気がついて、愕然としたようです。
それはイシスの愛の儀式でしたから参加者の男女が組になってハグをする、という工程が含まれていたようです。その時、その人もハグをしたようですが、特に意図していたわけではなかったようですが、普段使っているボールペンを胸ポケットに入れていたためにハグの時に胸が少しつっかかってしまっていたようです。何かに気がついたのかスタッフの人がその人のところに来て「もう少し胸をくっつけてください」と指示があったようですが、それでも、ボールペンがあったのと、そもそも身長差がありましたので胸の位置がきちんとくっつくことはなかったようです。
イシスの儀式といいつつ悪魔を呼び出して、しかも、ハートからそのエネルギーを入れる・・・ というのは、考えようによっては恐ろしいことだと思います。その人は運良くハートがボールペンで守られたようですが、どうも、周囲を見ていると具合が悪くなった人もそれなりにいたようです。
その人は昔、エジプトの北部にあるイシス神殿のあった島に観光に行ったことがあるそうです。その時、その清々しいエネルギーと愛の包容力に魅了され、イシスのことが好きになったこともあるようですが、その時の儀式で呼び出されたとされるイシス神は全くエネルギーが異なっていて、重い黒みのかかったエネルギーで、女神というよりどちらかといえば悪魔のエネルギーだった、とのことです。その人の個人的な感想で、本当のところはわかりません。
山羊の頭を調べてみると、すぐに出てくるのが悪魔バフォメットで、悪魔とはされているものの、流派によっては正当な神とされていて、特に魔術系の流派によっては神として崇拝の対象になっているようです。であれば、その儀式を行っていた人たちは魔法系の流派だったようですから、その人たちにとってみれば正当な神ということだったかもしれず、当人たちにとっては筋が通っているということになるのかもしれません。
あれが神なのか悪魔なのかの解釈はさておき、エネルギー的に見ると、あれはイシスではなかったのはその人にとっては確かだと思ったようです。それが儀式の成功によってそうなったのか、失敗したからそうなっていたのかはわかりません。少なくとも、その時の儀式に混乱はなく静粛と進められていて、イシス神を呼び出した後のハグの指示も予定調和的に行われていたとのことで、何か間違ったことが起こった感じではなかったようです。であれば、あれをイシスと思って呼び出していた、と解釈するのが正しそうだ、と言っておりました。
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そのようなお話を聞きました。
何が神なのか悪魔なのかの解釈は難しく、悪魔とされている存在が実は良い存在だったり、人々の解釈は間違っていることも多くあります。その流派でそのように解釈をするのであればそれは個人の自由ではありますが、重要なのはどのようなエネルギーを信頼するのか、という点だと思います。言葉や理屈でいくら言いくるめたとしてもエネルギーは変わりませんので、神なのか悪魔なのかはわかりませんけど、(神と言おうと悪魔と言おうと)エネルギー的に良ければそれは良い存在ですし、逆もまたしかりだと思います。
このような、神を召喚する儀式、しかもイシス神ほどの高次の神を召喚する儀式はそうそう成功しないように思われます。本人たちは成功したと思っていても下級の悪魔を呼び出している場合も多々ある・・・ そのように思われます。普通の人は「力」を求めて召喚の儀式を行ったりもしますが、あちら側の方が人間よりも何倍も何十倍も賢いです。ですから、人間の側が天使や悪魔を使役していると思っていたとしても、実は、いいように人間の側が使われているだけ、という場合が大半かと思います。そのような、「力」による行使は、人間の力では対抗できないことがほとんどなわけです。
生きている間に力を行使できたとしても、(見えない存在に)恨みを買われている場合、特に死後すぐの期間は慣れなくて危険ですから、そのタイミングで悪魔などに攻撃されてしまうこともあります。悪魔に魂を売った人、悪魔と契約した人は死後に悪魔に使役しなくてはならない、みたいな言い伝えはある程度は真実のように思います。生きている間に悪魔や天使を呼び出して力を得ても、力に驕れる者は力に溺れる、みたいな昔からの言い伝えは正しいように思います。
あの世の存在というのは姿を自在に変えられますから、天使のように見えても実は悪魔で、力を得る契約をしたがために死後に使役させられる、という状況もあり得て、当人たちは全く安全と思ってはいても、悪魔の方が狡猾で、人間の知見で天使や悪魔を使役できると思わない方が良いと個人的には思います。
そもそも、天使や悪魔は使役する対象ではないように思います。基本は普通の肉体の人間関係の延長線上で、信頼関係によってお願いをするものです。それを、魔術やら何やらで法力を使って従わせる、というのは力関係による強制の関係であり、あまり感心することではないですし、使役していると思っていても手のひらで転がされていることがほとんどのように思います。