他人の心の声が聞こえても本質ではないことがある

2024-06-21 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

スピリチュアルが成長してくると、時に、他人の心の声が聞こえやすくなる場合があります。これは流派や修行のやり方にも影響していて、特に聞こえやすくなる人たちがいるように思います。その場合、割と、その心の声を聞くことで本質を見誤ることが多々あるように思うのです。

本人は、他人の心の声が聞けるから自分は優れている・・・ そう思うことが多いように思います。一方で、本質というのは、そこにはなかったりするわけです。

むしろ、心の声など聞けない方が、「感じる」という点において、本質を見抜ける場合があります。

これは善し悪しで、心の声も聞いた上で「感じる」ことも追加して本質を見いだせば良いわけですが、安易に心の声を聞くことでその人の本性を早合点してしまう人たちがいたりするわけです。

それはチャクラの発達にも対応していて、単に心の声が聞けるだけの場合、感じる能力が未発達の場合があります。チャクラは全体的に満遍なく発達した方がいいわけですが、特定の能力に偏ってしまっているわけです。

他人の人生というのはなかなかすぐに分かるものでもありません。早合点せずに、じっくりと取り込む姿勢が必要に思います。特に、他人の心の声が聞けたからといってそれが本質ではなかったりするわけです。

心の声とは
・昔の記憶が急に出てくる時に発せられる心の声
・日常生活で他人から植え付けられた心の声
・思考の声(ロジカル)

などがあるわけですけど、これに加えて、ハイヤーセルフの声、守護霊からの声、というものもあります。他人の心の声を聞くという場合、割とこのあたりがごっちゃになっている場合があるように思うのです。

他人の心の声が聞けたとして、それが本人のどこから来ているのか、どの程度の高次なのか、実は守護霊なのか、あるいは、そこらにたまたまいる他の霊の声なのか・・・ このあたりをわからずして、単に心の声が聞こえたからといってそれが答えだと思ってしまうのは短絡的で、きちんと見極めることができても、それでも所詮は心の声でしかなくて、本質はもっと「感じる」というところにあったりするわけです。(他人の)心の声は参考にはなりますけど、本質を見いだすにはもう少し深く見る必要があるように思います。