スピリチュアルな成長は、「放棄(ヴァイラーギャ)」する前と後で随分と異なります。
放棄する前は、どこまで行ってもマインドの世界、いわゆるアストラルな次元に留まることになります。それより高次の意識が現れることもありますが基本はアストラルな次元であり、カーラナ(コーザル、原因)やプルシャの次元には到達しないことがほとんどです。
放棄を達成した後にそれより下の世界で活動することはあっても、高次元に到達する道としては放棄しかない、と言います。他にあるように見えても、実際は、それしかない、と私の見えないガイドは言います。
例えば、術を使って何かを実現したり高次の存在を呼び出したりする、そのようなことができると主張している人がいるとしましょう。それは、基本的にはアストラルな次元で起こっていることです。肉体に近い部分では物質的な側面、オーラや五大元素に基づいた術が使えたりしますが、そのような、オーラに基づくお話はアストラル界のお話で、そこまで位が高いお話でもないのです。アストラル界からそれより上のコーザル界に進むと、そこはもう形はなくて、幾何学はありますけど基本的に形はないわけです。自称でコーザル界などの高次の術を使っているように主張している人がいたり、そのように見えても、使いこなせる人はそれこそほとんどいませんし、そもそも、術という道を通って高次に到達することはできない、と私の見えないガイドは言います。
コーザル界より上に行くには、放棄が必ず必要、と私の見えないガイドは言います。
例えば、アストラル界における各種の技を身につけている人がいたとして、それを、(少なくとも一旦は)全て手放す必要があるわけです。その手放しはもしかしたら1つの人生丸ごと、ということもあるかもしれません。あるいは、数年、数十年、はたまた、もっと短期間の場合もあるかもしれません。死に直面することで、臨死体験などで放棄を達成する人もいるかもしれません。どちらにせよ、ゆっくりやるか、急速にやるかの違いはあれど、放棄を行うわけです。
この、放棄をしている人と、そうでない人は、明確に異なります。
放棄をしている人は、穏やかです。
放棄をしていない人は、プライドを傷つけられると激しく怒ったり反発したり言い返したりします。プライドがまだ残っているわけです。
放棄(ヴァイラーギャ)をすることで心身にも穏やかになりますし、怒ることも少なくなります。特に、プライドが原因で怒るというのは、よほどめんどくさい人が相手でない限り、そうそうなくなります。
放棄をするまでは、スピリチュアル中級者あるいはそれ以下であると言えます。
これは、一見すると術を使えてエネルギーを動かせて傍目に凄い人のように見えても、そのような術は基本的にはアストラル次元で動くわけです。ここで、アストラルのエネルギー(5大元素や物理的な側面に基づく)を動かすことと、それより高次のカーラナ以上の世界に到達することとは根本的に異なるわけです。
例えるなら、肉体で筋肉がもの凄かったり、整体の技術が優れていたとしても、それはあくまでも物質的な階層のお話であって、それ以上の階層とは無関係(もちろん、それ以上の階層が成長されている方もいらっしゃいますが)のことなわけです。これは誤解があるかもしれませんが、肉体を鍛えるとそれに近い階層の、肉体に近いオーラも活性化され、アストラル界のオーラにも影響を与えます。ですから、関係はあるにはあるのですが、階層としては別なわけです。そのように、肉体の物理的なお話はあくまでもその階層のお話であることと同様、アストラル界のお話は、その世界でのお話なわけです。確かに、物理的な側面とアストラル界とはなめらかに繋がっていてお互いの世界が影響し合う、というのはありますし、アストラル界の上部とコーザル界とは一応は繋がっています。とは言いつつも、理屈としてはそうであっても、アストラル界というのとカーラナ(原因、コーザル)の世界とは、随分と階層が異なるわけです。
そして、その限界を突破するのが放棄(ヴァイラーギャ)なわけですが、これを達成しているかどうかで、スピリチュアルな成長は随分と階層が異なるわけです。