ふと書物でそのような記述を見かけて、さもありなん、と思いました。
実のところ、スピリチュアルでは愛を以下のように分類することが多いように思いますが、これには違和感がありました。
・情愛はマニプラ・チャクラが優勢
・本当の愛はアナハタ・チャクラ(ハート)が優勢
アナハタは確かに普遍的な愛への入り口であり、このような記述も一応は正しいように思います。マニプラよりも下のスワディスタナ(セイクラル・チャクラ)或いはムーラダーラ(ルート・チャクラ)は生命の生きる力と結びついており、より根源的、生命力に溢れている反面、それは独占欲や支配力も強い側面もあります。
・ムーラダーラ 地の力、根源
・スワディスタナ 無意識、欲
・マニプラ 情欲
・アナハタ(ハート) 普遍的な愛(への入り口)
・ヴィシュッダ 知性への入り口、コミュニケーション
・アジナ(サードアイ) 神としての愛への入り口、個としての神
・サハスララ 全体としての神(への入り口)
よって、スピリチュアルで言われている、ハートが愛の入り口、というのは正しくもあり、それでは不十分であるわけです。
そして今回、このような記述をふと見かけて、確かに、それはそうだと思いました。普段は温厚そうなのに突然ヒステリーになったり喚き散らすような人はアナハタ優勢であることが多いように思います。それより前のムーラダーラやスワディスタナであれば、もっとわかりやすい姿を取ったり、演技をしたりしています。一方、アナハタはそれなりに自己に素直である反面、その素直さがヒステリーや周囲への攻撃として現れることが多々あるように思うのです。
その上のヴィシュッダやアジナに進むと、完全ではないとはいえそれなりに神の愛へと近づいていきますからそのようなことは減っていきます。そして、アジナやサハスララに至った後の、もう1周或いは数周後のアナハタであればそのようなヒステリーも減ることと思います。しかし、一般的なアナハタ優勢の場合はアジナに至っておらず、よって、攻撃的になったりヒステリーになることが多々あったとしても、さもありなん、と思うわけです。