・更に鼻およびその周辺がほぐれてエネルギーがもう一段、通るようになった(今まで、鼻の部分が若干堅い感じだった)
・マニプラ(ソーラプレクサス、太陽神経叢)がもう一段、活性化、更に開いた。
・眉間、額の部分はまだ堅さが残るが少しづつ緩みつつある(今後の課題)
特にマニプラを意識していたわけではなかったのですが、おへその少し上が活性化しています。マニプラの場所には諸説ありますがスワディスタナ(丹田)がおへそより少し下で、アナハタ(ハート)が胸のあたりですので、その中間あるいは中間より若干下の部分がマニプラで、そこが活性化してグラウンディングが高まっています。これは生きる力とも言えて、この人間社会を生きる上では大切な力になってくるように思います。私はそこの周辺は大雑把に全体的に活性化はしていたのですが、チャクラと言えるほどの中心点はまだできていませんでした。最初にクンダリーニが活性化したときも中心点はなくて全体的に暖かくなったりしたのみでしたので、クンダリーニができることとチャクラとしての中心点ができるという段階はそれぞれ違う、すぐに両方が起きるわけではなく、まずクンダリーニが起きて活性化して、しばらくして安定化してからチャクラ、ということなのだと思います。
基本的には下から順番に活性化するわけですけど、人によって若干、開きやすいチャクラというものがあるように思います。ヨーガの書籍を見ると開きにくいチャクラがあったという体験談が書かれていたりします。開いたとは言っても、その程度は違っていて、まだほんのりとチャクラの中心軸ができてきた、というくらいのことで、更にハッキリとしたチャクラになる可能性があるように思います。
私の場合、マニプラよりもアナハタの方が先に活性化していたように思います。マニプラは割と人間くさいチャクラですので泥臭い感覚や地上の情といった面に深く関連があるように思います。この地球上で愛や情というとマニプラの段階であることが多いように思うのです。ですから、私は割と人間的な感情よりもアナハタ的な普遍的な愛という側面を感じることが今までは多かったのですが、マニプラが活性化されたことにより、人間的な激情というものも以前より感じられるようになったように思います。
アナハタの愛となると涙やワンネス(の始まり)に近い部分がありますが、マニプラは人間的な泥臭い情のお話なわけで、これはどちらが優れているというわけでもなく、両方の側面があるわけです。
スピリチュアルというと、下のチャクラを捨てて上のチャクラへと進む、というような誤解があるように思います。情を捨てて普遍的な愛へと進む、というような誤解があります。それはある種の一面を表していてそこまで間違いでもないのですが、下の段階を捨てるというよりは上の段階によって下の段階を超越するわけで、そこに対立はないわけです。上の段階であれば下の段階を理解することができて、そこに葛藤はないわけです。
今まで、私は別に下のチャクラは育てずにアナハタ以上で十分かなと思っていたこともありますが、特に意識せずとも勝手に下のチャクラも活性化してきて、体の全体のチャクラのバランスが整ってきたように思います。特にアジナに集中して活性化してきたわけですが、アジナは体の全体の中心になるエネルギーの入り口の主要な一つでもありますので、アジナを活性化させていたら他の下のチャクラも活性化した、というのは理にかなっているように思います。
ちなみに、マニプラ・チャクラは通説で色は黄色だったりしますけどヨーガの本を読むと赤くて血のような感覚、という表現も出てきます。その点、私の感覚とも似ていて、マニプラは黄色というよりも赤い感じがします。
私は割とこのマニプラが今まで苦手で、この感覚それ自体は何度も現れたのですが、あまり良くない感じがして閉じてしまっていたのです。何か、とても獣のような血のような感覚がして、程度の低い波動と判断してそこは切り離すようにしていたのです。ですが、どうやらそれではいけないようで、チャクラは満遍なく上から下まで活性化すべき、というのが今の理解です。アジナなど上のチャクラが動いていない状態でマニプラや下位のチャクラが動き出すと様々な問題が生じますが、アジナ以上がそれなりに動いていれば問題になりにくい、というのが今の理解です。
気持ち悪く感じたので閉じた、という側面と、アジナが開いていなかった、というのは密接に関係しているわけです。アジナを先に開いた方が良い、と、一部の流派では教えられていますけど、実際のところ、アジナそのものではなく鼻と目の部分を開く、ということなのかなと思います。
この点、目や鼻といった部分が(アジナだけでなく)マニプラと関連していることがヨーガの本に記載されています。目や鼻のまわりには消化器系をコントロール経絡があり、それがマニプラと密接な関係になっているとのことです。であれば、私は特にこれを意識していたわけではありませんでしたが、頭の各部、特に鼻の周りと目の周りを重点的に緩めていたら関連してマニプラが活性化した、というのはヨーガの理屈的にも叶っています。同様の理屈でヨーガのトラタカ(ろうそくなどを一点集中する)がマニプラを活性化する、という側面があるのも頷けます。
そのあたりはアジナそのものではないにせよ重要なエネルギー・ルート(ナディ)ですので、鼻と目を通るナディが詰まっているとマニプラが気持ち悪く感じられるのと同時に、マニプラが安定しないように思うのです。マニプラを安定させるには、下腹部のみならず鼻と目をきちんと開くことが必要に思うのです。
マニプラが強い人は、生命力が強い印象を受けます。とは言いましてもそれは人間的な生命力で、マニプラが弱い人と強い人がいたとすると、強い人は少し気持ちの悪い波動になります。実際はチャクラはそれぞれの複合体であるわけですが、マニプラが活性化している場合は気持ちの悪い波動が混ざるわけです。人によっては気にならないかもしれませんが、それは相手とのマニプラの活性具合にもよるように思います。自分より相手の方がマニプラが強いと気持ち悪く感じられるわけで、それはマニプラの感覚として現れます。相手より自分の方がマニプラが強い場合は特に何も感じないように思います。マニプラは、日本の武士など江戸時代のイメージ、剣士のイメージに近いものがあります。胆力で相手を圧倒する、という、生命力に溢れたチャクラであり、なかなか取り扱いが難しいようにも思うのです。
マニプラの周囲のチャクラを確認してみると、アナハタはそれなりに開いている一方、ヴィシュッダ(喉)とアジナ(サードアイ)はまだまだ課題が残ります。私の場合は元々喉のヴィシュッダが弱いのですが、それと同じくらい眉間のアジナ(サードアイ)も堅く閉じています。アジナが多少は動くようなことがあっても、まだチャクラとしては閉じているように思います。とは言いましても、アジナ・チャクラとしては基本的に閉じているとしても、多少は動いているように思うのです。特に鼻と目からのエネルギーおよびサハスララ(頭頂)からのエネルギーによって多少はアジナが動いているような感覚があって、少し動いてきただけでも下のチャクラに影響を与えるのですから、アジナは強力であると言えると思います。マニプラが活性化した今、もう少しアジナが活性化した方が良いようにも思います。このあたりが今後の課題になります。
マニプラは、私自身、割と舐めていた面があります。思えば、チャクラとは言っても気の段階、アストラルの段階、それ以上の段階でそれぞれ違うように思うのです。気の段階でのチャクラは全体がそれなりに開いてきていたかと思いますが、アストラルできちんと開いていなかったと思うのです。多少はコーザルに足を突っ込んでいた気がしていた時もありましたが、思えば、これからようやくしっかりとコーザルの段階に入るのであり、基本はまだまだアストラルである、ということを今回のことで思い知らされました。
クンダリーニらしきエネルギーが上昇して体を包んだとはいっても、それはまだ気の次元が主だったように思うのです。アストラルのエネルギーも含まれてはいるものの、アストラルのチャクラが開くときちんと回転の感覚が出るものであり、気の次元ですとまだチャクラの回転が出ていなかったように思います。そのような理解です。