マニプラ・チャクラの活性化の後の1〜2週間 (4/5)

2024-10-30公開 (2024-10-19 記)
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

(続き)

上と下のバランスを取ることがヨーガであり、ヨーガを軽んじるということは上と下のどちらかを重視するということであり、キラキラ・スピリチュアルはバランスが取れていないが故に上だけを重視して銀河や宇宙を重視してヨーガなど地球や人のことだからと誤解して見下す、という構造であるように思うのです。当人たちは地に足がついている、と教えられたりしますので頭ではその気になったりしますが、実態はというと人生経験を積むと自ずと判断できることです。言っていることと実態が違う、というのはよくあることです。「地に足のついた教えだから」と言われても、実態はそうではない、というのはあるあるです。

カルトなどでは上だけに繋がって(繋がろうとして、実際には繋がらなかったりして)、宇宙と繋がることができたような気がして、それですと無意識の世界になってしまいます。ですから、キラキラ・スピリチュアルでは無意識の世界に働きかけて現実を動かすだとか、そのような手法が盛んに行われているわけです。ですが効果がある場合は希で、想像でそのような気になっているということが多いように思います。自分は高次の世界を意識できない、あるいは、ぼんやりとしか知覚できない、想像的な認知、という状態であることが多いわけです。そして、想像の中に生き、きちんとした教えを「それは遅い」と言って避けたり、ヒーリング等の表面的なオーラの植え付けで一時的に活性化したかのように見せて「これの方が変化が早い」と曲解して捉え、一時的なオーラの植え付けはは結局は時間が経てば元に戻るだけのものであるのにも関わらず自己のやり方に固執し、地に足のついた教えを「低級だから」といってこれまた避けたりします。宇宙だとか上に繋がる、というやり方は、どこか外気功に似ています。内部から繋がるのではなく、外側と繋がる(それも想像に過ぎないことも多いのですが)ことで何者かになった気がすることがあるのですが、何者かに「なる」ということはまだ分離があるということであり、一体化していないわけです。神の存在との一致が目的であるならば、そこには「なる」という概念すらも消え去るはずですが、自己と他者という関係性の元に宇宙に「繋がる」という分離の意識でいるのです。最初はその程度が当然だとしても、それがゴールだと思い込んでしまっているのです。これが「宇宙や銀河」を重視して地に足のついていない教えに見られる特徴です。

更には、無意識の世界は「悪」だと決めつけている流派・カルトもあります。これは、まだ自らの限界を突破することができていないスピリチュアルであり、自分たちの修行が至っていないのが実態ではあるのですがエゴが強くてそれを認めない、自分たちのことを最高とみなすカルトであるとも言えます。このように、自分たちのことを棚に上げて、本流の人たちを蔑んで自分たちがいい気になって成長したかのように錯覚するカルトなスピリチュアルがそれなりに存在しているわけです。

意識の上に宇宙や銀河を下ろすには上と下のバランスを取る必要があるわけですが、一部のキラキラ・スピリチュアルやカルトではバランスが取れておらず、現実と結びついていない空想のお話になります。それでもエネルギーとしては存在していますので、儀式をするなりして、何やら自分ではよく分からないエネルギーを動かして何やら成長した気になったりします。それがキラキラ・スピリチュアルやカルトの実態かと思います。ですから、ごく短期間の高額セミナーでエネルギーを一時的に与えられて何やら成長した気にさせられて、その時だけは何か凄い気持ちの良い、活気に溢れた状態になるわけですが、そんな短期間でチャクラが開くわけでもありませんので、時間が経てば元に戻ってしまうわけです。そして、お金を払ってオーラを手に入れて気持ちよくなるということを覚えてしまった人は、少なくない金額を払って何度もヒーリングを受けて、財布が軽くなるまで通わされるわけです。これには救いがありません。昔から、ヒーリングに依存させるのは良くない、とは良く言われます。それは、精神性を蝕み、依存体質にするからです。カルトにはお似合いかおしれませんが。

一方、本流の流派は、地道に修行します。そして、チャクラやイダとピンガラのようなナディ(エネルギー・ルート)を開いて、自分でエネルギーを取り入れて元気になります。

スピリチュアルをやっている人より、普通の社会生活を送っていて優秀な人の方がよほどスピリチュアル、というのは、このあたりの違いが根底にあるのではないかとも思います。社会生活で優秀な人は概してマニプラなどのチャクラが活性化しており、上と下のバランスが取れています。生命力に溢れ、魅力的です。それは、キラキラ・スピリチュアルやカルトで儀式をしたりヒーリングを受けたりしてオーラが変になって気持ちの悪いオーラをまとっている人と比べて、よほど普通の優秀な人の方がオーラが魅力的であるのは、このあたりのグラウンディングが自分で育てたものなのか、他者からつぎはぎでもらい受けたもので調和が取れていないからなのか、そのあたりにも違いがあるのではないかと思いました。

これらのことが、今回、マニプラのことで再確認および認識を新たにしました。

(続きます)