・・・マニプラの活性化から数日経って、少し突出して感覚が出ていたマニプラが他の上下のチャクラと融和するようにバランスが取れてきたように思います。鼻の部分はまだ堅い部分が残るようで、マニプラはここで終わらずもう少ししっかりと覚醒できるようにも思いますが、それはまたこれからですね。
それはともかく、今回のことでグラウンディングが強化されたように思います。
思えば、ヨーガの流派によっては「アジナを先に目覚めさせることで弟子たちが下のチャクラを開いたときに翻弄されないようにする」みたいな教えがありますけど、これって、本当のアジナではなくてこの鼻の部分のことかなとも思うのです。本当のアジナはもっと奥で開きにくいので、先にアジナ、というのはあまりないようにも思うのです。それよりも、鼻の部分はヨーガで言う(体の)左右のエネルギールート、イダとピンガラが合流する地点でもあります。ですから、鼻の部分を開くことが重要だと思うのです。そして、それが必ずしもアジナが開いたことにはならないとしても、一般的にはそれでアジナがそれなりに開いたと解釈されているように思います。
ちなみに、鼻はマニプラだけでなくムーラダーラ(ルートチャクラ)にも関係していて、「匂い」がそれに当たります。ムーラダーラが開くと匂いに敏感になります。鼻はおそらく、イダとピンガラを通じて各チャクラと強い結びつきがあるように思います。
・・・今後の課題としては額やその上の部分で、額を中心としてその上下、眉間にも多少、頭頂の前寄り部分なども合わせてまだ堅いところを緩める必要があるように思います。
・額
・頭頂の前寄り
この部分はかなり前から段階的に緩めてきてはいますのでそれなりに緩んできてはいるものの、まだまだ堅さが残るところです。今回、マニプラが一段階開いたことによりこの額や頭頂に入るエネルギーも相応に大きくなったように思います。以前よりも堅さが解消されて緩むまでの時間が短くなってきているように思います。
・・・マニプラの感覚は、日が何日か過ぎるにつれ、更にその上下のチャクラと融和してきています。以前は気持ち悪くてマニプラを閉じてしまっていたように思いますが、今回は日数が経っても安定しているように思います。
・・・そのまた数日後に変化がありました。マニプラ活性化の5日後ですね。元々イダとピンガラが鼻のところで合流して頭のエネルギーが活性化していたわけですが、そのイダとピンガラがもう少し太くなって頭に流入するエネルギーが高まり、今まで既に緩んでいたと思っていた頭の各所が再度、音を立てるようになって更にもう一段階の緩みが始まりました。今回はというと頭頂サハスララの付近にまで強いエネルギーが迫っていて、サハスララは多少は開いていてエネルギーが通ってはいるものの、その強いエネルギーはまだ通れない、という感じです。こうなると課題は単に額や頭頂前側というだけでなく、新たなエネルギー段階において頭の各所を更に緩めていく、というような感じになってきています。場所は再度同じところを繰り返すにしても、そこに入るエネルギーの量が違うわけです。この新しいエネルギーは濃くて満ちているわけですが、それでもまだ間に隙間があるように思いますので、おそらくはまだ何周もするのではないかとも思いますが、とは言いましてもサイクルの周回が早くなってきているように思いますのでこのまま瞑想を続ける次第です。
木山博著作集5 ( P 458)によるとマニプラは主に気を吸い込む方でアナハタは気を出す方であると言います。マニプラが不安定な場合には人混みが苦手で気持ちが悪くなったりするとのことで、私の場合はかなり昔は人混みがかなり苦手でしたがここ最近はそうでもなく、今回のマニプラの活生化の前でもそこまで問題にはなっていませんでしたか、今回のことがあってからは更にグラウンデイングが強まって人混みが更に平気になってきたように思います。
ヨーガでマニプラは上下のエネルギーを合わせる場所であるとはよく言われます。上からプラーナが陽の気として降りてきて、下のクンダリーニからアパーナが陰の気として上がってくることでマニプラで合ーするのです。
そして、マニプラは人の感情と密接な関係があると言います。更には、動植物の声というか訴えるものがわかるようになると言います。更には、単純なテレパシーあるいは心を読む能カとも繋がっていると言います。持にこれは日本人の特に女性であれば空気を読む能力あるいは以心伝心の能力として古来から備わっている能力であるように思えます。それは人の話をよく聞く能力ということでもあり、それをきちんとできるようになるためにはマニプラだけでなくアジナも開く必要があるようで、それは体感とも一致します。
・・・特に女性は、マニプラが元から強いと思うのです。ですから、特に女性が苛ついたり強い調子になるとマニプラが活性化され、女性に強く言われている人(特に男性)は下半身がモヤモヤあるいはブワッと泥臭い感じの威圧感を受け、聞いている側(特に男性)は疲れてしまうのです。しかも女性は自分のマニプラの強さに無頓着であることが多いですから、女性の側からすると「悲しんでいる」とかしか思わず、スピリチュアルな女性にそれを指摘すると「私はそんな下半身の低いチャクラで悲しんだりしない。下半身に感じているということは、100%貴方の問題だ。私は全く悪くないことが証明された」みたいなことを言いますけど、そう言っている当人は、自分のことですから自分のオーラの状態に無頓着で、自分が(特に女性が)下半身のオーラ、特にマニプラが強い、という点に無自覚であることが多いわけです。無頓着である上に、エゴが自分を守るために認知を歪めて相手の責任にしてしまう、みたいなこともマニプラくらいですとよく起こります。マニプラの段階ですと冷静に物事を判断できないわけです。女性はそうしてマニプラが強い場合が多々あるものの、特にスピリチュアルな人ですと「上のチャクラの方が上等」と思っていることもありますから、誰かがそうした女性に「(貴方は)マニプラが強い」、みたいなことを言うと「そんなことない。私はそんな低いスピリチュアルではない」みたいに、女性は自分のマニプラの強さに無頓着か、悪ければそれを棚に上げて相手(特に男性)のことを下に見る傾向があるように思うのです。女性がマニプラが強い傾向があるとして、実際にそうだとわかったとしても、特にスピリチュアルな女性に対してそう言うと反感を買うように思いますので、あまり言わない方が良いように思われます。
ですが、このようなスピリチュアルな認知の傾向はバランスを崩すように思うのです。マニプラは割と下のチャクラだと思われがちですけど、実際のところ、上と下のバランスを取る箇所で、それはグラウンディングと密接に関連しています。陰と陽が交わる場所。本来ならばマニプラが強いということは生命力に満ちていて良いことである筈なのに、何故か、バランスを崩すような、上のチャクラの方が上等という誤解が生じているように思います。
これは、特に生まれて間もない若い頃は、上のチャクラが活性化されているか、あるいは、下のチャクラが活性化されているか、どちらかだと思うのです。天から来た魂は最初から上のチャクラが活性化されており、下のチャクラがあまり動いていません。一方、地から来た魂は下のチャクラが活性化されており、上のチャクラがあまり動いていないように思うのです。天から来た魂の方が一見すると上等のように思われるかも知れませんが生命力に弱い面があります。一方、地から来た魂は生命力はありますがスピリチュアルなことはわからないわけです。マニプラが活性化されている場合はどちらの場合にしてもそれなりにバランスが整っているわけですが、それに無自覚なことが多いように思います。
確かに、上のチャクラの方が直感力やスピリチュアルを司るとしても、生命力という観点からするとマニプラは重要なわけです。とは言いましてもマニプラはどこか人間くさい、泥臭い、ドロドロした感じがありますので、スピリチュアルな人からすると避けられがち、というのも自分の実体験からもわかります。私も実際昔はマニプラが強い人のことを避けがちでした。マニプラが強い人に対して、何か気持ち悪いものを感じていました。特に女性でそうである場合、少しイライラし始めるとマニプラが活性化されて威圧感を下半身に感じるため、避けていたり、関係を切ったりしていたのです。上に書きましたように、スピリチュアルな人にそれを言うと「私はそんな低いチャクラの人じゃない。貴方の問題でしょう」と言ってもっとヒステリーになって責め立てる、というように、自分のマニプラの強さを棚に上げて他人を攻撃するような人が散見されたのです。
これはヨーガ的に言うと、まだマニプラくらいですと無自覚、無意識の側面が強いのです。もう1つ下のスワディスタナですと基本的には無意識のチャクラと言われていて、スワディスタナは自分ではコントロールしにくいわけです。アジナがそれなりに動き始めるとスワディスタナなど他のチャクラの無自覚な側面を補って意識的にコントロールできるようになりますが、それまでは無自覚な側面が多いのです。マニプラではスワディスタナよりも自覚的になりますが、それでも、まだ無自覚な面が多いのです。ですから、ヨーガの理論で言ってもマニプラが強くてヒステリーな人(アジナがまだそこまで動いていない人)は無自覚あるいは無意識な側面が大きいと思うのです。アジナが多少は動いていても自分のマニプラの強さに無頓着な人はいますので、やはり自分のオーラというのは感じにくいことが多いのかなと思います。当人はアジナ(サードアイ)が動いていると思っていても、実際は、少し動いているだけ、という場合も多いように思います。であれば無意識な側面が多い人が多数であるということも頷けます。
そして、マニプラですと基本的にアストラル領域を扱うわけで、そういう意味では、どうやら私の場合はまだまだアストラルのサマーディが主であったように思うのです。アストラルの下層では感情の高まりやゾーンという形で現れ、アストラルの上層では平穏になるものの、そのくらいが基本的な状態のように思います。一時的にプルシャやカーラナのサマーディあるいは神霊の流入があったとはいえ、それはあくまでも流入なわけです。実のところ全ての人に最初からそれなりに高次の意職というものは備わっているわけで、プルシャ等が入ってきたからといって自覚がもっと伴わないと本当の成長とは言えないと思うのです。それが、今回のマニプラの件で基本に立ち返えるべきであると思い直させられました。
多少は瞑想やスピリチュアルが成長したかのような気になっておりましたが、自分などまだまだ途中で、客観的に見て初心者とは言いませんけど主観的には感覚的にまだまだ初心者だなあと思うような時もあります。自分の立ち位置を思い返されました。
・・・その数日後、イダとピンガラから流入する頭のエネルギーが安定してきています。両頬の表面を通って鼻の上あたりで合流するエネルギーが頭の各所に充満し、更なるエネルギー密度と共に頭の各所を緩めています。これはヨーガ的にはプラーナヤーマという呼吸法とも関連していて、呼吸法は割と一般のヨガでは見過ごされがちで体を動かす運動あるいはポーズにばかり目を取られがちですけど、呼吸や鼻はイダとピンガラと密接に結びついているため、ここを開かないと次の段階へと進めないわけです。
記録を見ると、最初にメモしたのは2021年11月の頃で、この時はまだ数日間ほど現れただけだったように思います。今から思えばこれこそが重要で、その感覚がせっかく出てきたのでありますから、そのルートをもっと通してきちんと確実に通るようなものにすればよかったわけです。同様に、今から思えば、このルートが出てきた場合には体のエネルギーもより活性化して充実したものになり、体調面でも整っていたと思うのです。
スピリチュアルをしてもヨーガ等をしない場合、あるいは呼吸法もしっかりとしない場合は、この部分が開かないと思うのです。そうなると次のレベルにも達することができないわけです。開くためにはそれなりの修行が必要、という、当たり前のお話に落ち着くわけです。
修行せずともキラキラ・スピリチュアルによってなんとなくその気にさせられる、ということの罪悪があって、修行せずとも宇宙に繋がるだとか銀河だとか、言葉の上で上達したかのような錯覚に陥ってしまう点にあると思うのです。最近よく耳にする「それって地球のことでしょう。こちらの教えは宇宙と銀河だから」とかいう地に足のついていないお話は、結局自分の内ではなく外側に何かを求めているというお話であり、答えは内側にあるのにもかかわらず、宇宙だとか銀河だとか外側から与えられることを由としてしまっているわけで、そうなると、内側に無頓着になり、ヨーガでいうこれらイダとピンガラなどの基礎をないがしろにしてしまいがちなわけで、体のエネルギー状態というのは意識の状態とも密接に関わってきますので、イダとピンガラが通っていないということは、分離の意識状態なわけです。ヒーリングやイニシエーションと称して一時的にオーラを与えられると、意識の分離をしたまま、あたかも上達したかのような気にさせられてしまう、ということが認知に悪影響を与え、スピリチュアルが成長したかのような錯覚を与え、エゴを肥大化させてしまうのです。これがキラキラ・スピリチュアルと地に足のついた教えの違いなのではないかと思います。
確かに、ヒーリング等でエネルギーを与えられているとそれがきっかけとなってイダとピンガラが通りやすくなって結果として覚醒する場合もあるにはありますが、それは(1時間で1万円などのセッションをするなどして)コスパが悪いお話でもあり、それよりも、自分で瞑想なりヨーガするなりして通す方がよほど早いお話なわけです。最初にエネルギーを感じるくらいの経験はあっても良いとは思いますが、他人からのセッションだけで覚醒というのは無理があるように思います。そして、その無理があるお話をしているのが一部のカルトなわけで、一部のカルトは(元々効果が限定的なセッションを)被験者を覚醒させない程度に何度も引き延ばしてセッションを繰り返してお金を巻き上げる、ということをします。そんなことをせずとも、伝統的なヨーガをすればもっと早いしお金もかからないのです。
上と下のバランスを取ることがヨーガであり、ヨーガを軽んじるということは上と下のどちらかを重視するということであり、キラキラ・スピリチュアルはバランスが取れていないが故に上だけを重視して銀河や宇宙を重視してヨーガなど地球や人のことだからと誤解して見下す、という構造であるように思うのです。当人たちは地に足がついている、と教えられたりしますので頭ではその気になったりしますが、実態はというと人生経験を積むと自ずと判断できることです。言っていることと実態が違う、というのはよくあることです。「地に足のついた教えだから」と言われても、実態はそうではない、というのはあるあるです。
カルトなどでは上だけに繋がって(繋がろうとして、実際には繋がらなかったりして)、宇宙と繋がることができたような気がして、それですと無意識の世界になってしまいます。ですから、キラキラ・スピリチュアルでは無意識の世界に働きかけて現実を動かすだとか、そのような手法が盛んに行われているわけです。ですが効果がある場合は希で、想像でそのような気になっているということが多いように思います。自分は高次の世界を意識できない、あるいは、ぼんやりとしか知覚できない、想像的な認知、という状態であることが多いわけです。そして、想像の中に生き、きちんとした教えを「それは遅い」と言って避けたり、ヒーリング等の表面的なオーラの植え付けで一時的に活性化したかのように見せて「これの方が変化が早い」と曲解して捉え、一時的なオーラの植え付けはは結局は時間が経てば元に戻るだけのものであるのにも関わらず自己のやり方に固執し、地に足のついた教えを「低級だから」といってこれまた避けたりします。宇宙だとか上に繋がる、というやり方は、どこか外気功に似ています。内部から繋がるのではなく、外側と繋がる(それも想像に過ぎないことも多いのですが)ことで何者かになった気がすることがあるのですが、何者かに「なる」ということはまだ分離があるということであり、一体化していないわけです。神の存在との一致が目的であるならば、そこには「なる」という概念すらも消え去るはずですが、自己と他者という関係性の元に宇宙に「繋がる」という分離の意識でいるのです。最初はその程度が当然だとしても、それがゴールだと思い込んでしまっているのです。これが「宇宙や銀河」を重視して地に足のついていない教えに見られる特徴です。
更には、無意識の世界は「悪」だと決めつけている流派・カルトもあります。これは、まだ自らの限界を突破することができていないスピリチュアルであり、自分たちの修行が至っていないのが実態ではあるのですがエゴが強くてそれを認めない、自分たちのことを最高とみなすカルトであるとも言えます。このように、自分たちのことを棚に上げて、本流の人たちを蔑んで自分たちがいい気になって成長したかのように錯覚するカルトなスピリチュアルがそれなりに存在しているわけです。
意識の上に宇宙や銀河を下ろすには上と下のバランスを取る必要があるわけですが、一部のキラキラ・スピリチュアルやカルトではバランスが取れておらず、現実と結びついていない空想のお話になります。それでもエネルギーとしては存在していますので、儀式をするなりして、何やら自分ではよく分からないエネルギーを動かして何やら成長した気になったりします。それがキラキラ・スピリチュアルやカルトの実態かと思います。ですから、ごく短期間の高額セミナーでエネルギーを一時的に与えられて何やら成長した気にさせられて、その時だけは何か凄い気持ちの良い、活気に溢れた状態になるわけですが、そんな短期間でチャクラが開くわけでもありませんので、時間が経てば元に戻ってしまうわけです。そして、お金を払ってオーラを手に入れて気持ちよくなるということを覚えてしまった人は、少なくない金額を払って何度もヒーリングを受けて、財布が軽くなるまで通わされるわけです。これには救いがありません。昔から、ヒーリングに依存させるのは良くない、とは良く言われます。それは、精神性を蝕み、依存体質にするからです。カルトにはお似合いかおしれませんが。
一方、本流の流派は、地道に修行します。そして、チャクラやイダとピンガラのようなナディ(エネルギー・ルート)を開いて、自分でエネルギーを取り入れて元気になります。
スピリチュアルをやっている人より、普通の社会生活を送っていて優秀な人の方がよほどスピリチュアル、というのは、このあたりの違いが根底にあるのではないかとも思います。社会生活で優秀な人は概してマニプラなどのチャクラが活性化しており、上と下のバランスが取れています。生命力に溢れ、魅力的です。それは、キラキラ・スピリチュアルやカルトで儀式をしたりヒーリングを受けたりしてオーラが変になって気持ちの悪いオーラをまとっている人と比べて、よほど普通の優秀な人の方がオーラが魅力的であるのは、このあたりのグラウンディングが自分で育てたものなのか、他者からつぎはぎでもらい受けたもので調和が取れていないからなのか、そのあたりにも違いがあるのではないかと思いました。
これらのことが、今回、マニプラのことで再確認および認識を新たにしました。
・・・町を歩くと、今まで以上に人々の情、昭和的な感覚を強く波動として受け止めます。まるで世界が、(依然と比べて少しの変化ではあるものの)演歌の世界のような感じをも受けます。どっぷり演歌、というわけでもないのですが、今までよりもそのような感じがするのです。・・・・日本の各地を再度、旅行してみましょうかね。以前とは違った感じを受けるかもしれません。
・・・瞑想をすると、頭の各所が以前よりエネルギー的に活発になるのは上に書いた通りですが、後頭部の緩みも加速してきていることを感じます。元々の重点課題であった額とその上の、頭頂の前寄りの部分も引き続き重点課題ではあるのですが、それに加えて、後頭部が重点課題に加わってきているように思うのです。特に後頭部の中央から少し下寄りの部分ですね。そこが額などと同様に堅さを少しづつ解消していく段階に来ているように思います。額にせよ後頭部にせよそうなのですがどちらも何周か既にしており、それなりに既に緩んではいるのですが、今の周回の段階としてそれぞれ額と頭頂の前寄り、それと後頭部の下寄りとが重点課題としてエネルギーを通して緩ませる、という段階に来ているように思うのです。
・・・更に少しして、額の前頭葉から頭頂にかけて更に緩みが進みました。まだエネルギーが完全に通ったわけではありませんが、水が通っていなかった田んぼに水を引き入れて、田んぼが水を吸っている、というのと似たような感覚があります。なかなかエネルギーが通りにくく、まるで水を隅々まで行き渡らせるかのように意図して、具体的にそのようにエネルギーを動かすことで、額の部分の乾いたところをエネルギーという水のようなもので浸してあげる、という段階に来ています。これは同じ場所でも以前行って、その時は今よりも本当に堅かったので更に苦労して少しだけ通っただけでしたが、今は田んぼあるいは畑が多少は耕かされている状態でありますので、以前よりも(水に見立てた)エネルギーが通りやすくなっています。とは言いましても、まだ努力して通す必要があります。
エネルギーが通ると、そこが、幾つかの岩に分割されたように、岩の周囲にエネルギーが通った状態になります。そして、軽石が水に浮いているかのように少し軽い状態およびその石の周辺に少し動きができます。岩それ自体の堅さはそれぞれ残りますが、ある程度まで、分割されてそれぞれに動きができるのです。これを繰り返します。
石同士がくっついている場合もあり、その場合、引き剥がすために少し呼吸で動きを入れてあげる、というようなこともします。筋肉の筋が伸びて動きやすくなっているかのような感覚があります。そして、頭のその箇所で、つっぱり感が解消されるのです。
頭の各所がそうして、もう一段階緩んで、動きが出てきます。すると、再度、頭の各所で今まで伸びきっていなかった部分につっぱり感が出てきますので、それを都度、解消してあげます。既にある程度緩んでいる部分に関しては多少のつっぱり感が出てきても割とすぐに解消されます。しかし、額の部分はまだ堅さが多くのこるので時間がかかります。
同様に、頭頂と後頭部にもまだ堅さが残っていますので、今後の課題であるように思います。
このように、瞑想で緩ませるという行為自体は依然と変わらないのですが、鼻の部分が通ってイダとピンガラが活性化され、そしてなによりもマニプラがより働き出してエネルギーが増えたことにより、頭に通るエネルギーが増大し、緩みの速度も加速したように思います。
・・・数日経って、今までは頬をイダとピンガラが通って鼻の少し上で合流していたものが、次第に、合流地点が上昇してきているように感じます。鼻の更に少し上で合流したかと思えば、やがては額の部分で合流するようになり、更には、額の少し上の部分で合流しているかのような感じになることもあります。
そうして、合流箇所が変わってきていることを感じた後、やがて、鼻の上から額および額の少し上、その全ての箇所が更に活性化され、合流地点がそのいずれかというよりは、その全てが合流地点になりつつあるように思います。
感覚として、鼻の上の部分が、元々はエネルギー・ルート(ヨーガでいうナディ)として少し細かったように思うのです。ですから、細いためにルートが幾つか迂回して額や額の上にも通っていたものが、鼻の上の部分が更に開けてきたことにより、迂回というよりはそれら全てが統一して動き始めたように思うのです。とは言いましてもまだ鼻の上の部分にパイプとしての細さを感じますので、そこを太くする必要はまだまだ感じますが、それでも、詰まっていた頃と比べると随分と通ってきたように思います。
そして、おそらく、鼻の上の付け根の部分がイダとピンガラの合流地点の基本であり、マニプラ・チャクラと密接に関係があるように思うのです。
・・・更に数日。額やその周辺および後頭部の下側を重点箇所として緩みを進めています。そして、後頭部の上側も多少は緩みが進むようになり、やがて、頭頂の中央付近も緩みが進むようになりました。となると、今まで十分と思っていた箇所、鼻の左右、鼻から頬にかけての部分が突っ張る感じが出てきましたので再度伸ばして、更には、頭の中央の少し下寄り&少しだけ後ろ側の部分(後頭部とまではいかないですが)の突っ張りもでてきましたので、そこも解消していきます。各所の緩みが解消して伸びてくると他の箇所に突っ張りがでてくるので更に解消していく、ということを繰り返しています.とは言いつつも、頭の周辺部が堅さの解消の主な箇所であります。
・・・これまた数日後。今度は後頭部の上と頭頂の後ろ寄りの部分が重点箇所になっています。今までもここは時々は重点箇所っぽくはなったのですが他の場所との混合で、今回はというとここだけが重点箇所になってきた、という違いがあります。緩める際は他の場所と動揺に進めていくわけですが、その箇所(後頭部の上と頭頂の後ろ寄り)から頭の中央にかけても緩んでいく感覚があります。
・・・そして、再度、後頭部の下側、後頭部の上側、またも前頭葉、額、などなどが重点箇所に変わりました。しばらくこれら頭の周辺部のローテーションが続きそうです。
・・・頭の各所、特に周辺部で脈拍の鼓動を如実に感じます。以前も各所ではそれぞれ鼓動を感じることが度々あったわけですが、最近はそれが複数箇所で同時に起きていて、後頭部の下から上、頭頂の前後、額の周辺、などなど、脈拍の動きと共に頭蓋骨の堅さにより窮屈さも感じます。その脈拍の動きを感じつつ、重点箇所をそれぞれ呼吸と共に緩めていくわけです。