物理的な制限のある世界に住むことで学びを加速させる (2/2)

2024-12-16公開 (2024-12-01 記)
トピック:スピリチュアル: 理解

(続き)

特にお金は人の行動の制約にもなりますが、行動に制約がなくなったら仕事をしなくなって寝そべっているだけであるとすれば学びも減るのであり、それは本当に面白い生活なのでしょうか。それでいいと思う人がいたら宇宙の創造主の意図にそぐわない存在として某かの揺さぶりがかけられ、行動するように働きかけられます。行動せざるを得ない状況に追い込まれます。人は勝手な判断で束縛だとか強制だとか思い思いに言いますけど、根本原理が「理解」でありますから、遊びでも何でも「理解」のために生きている人は楽しいことであっても生活は保障されるわけです。何故ならそれが宇宙の意思に沿っているからです。

ですから、スピリチュアルで術を使ってお金を楽にかせぐとか引き寄せの法則で思い通りの人生を生きるとか、そんなことは宇宙の法則からしたら大して興味のないことで、それは術を使ってもしかして実現できるかもしれませんが、その結果、学びもなく平穏に暮らすだけであれば宇宙は揺さぶりをかけて強制的にそこから放り出し、行動せざるを得ない状況に追い込むわけです。そのように、本当は宇宙の法則が「学び」だからこそ行動させられているのにも関わらずそれを認識せず、やれ支配者だとかディープステートだとか陰謀論だとかよくわからない勝手な理屈を想像で生み出し、あるのかないのかわからない実態に対して不平不満を感じて世の中を呪うという時間の無駄かつ意味のない行為を行っている人も中にはいるわけです。

お金があるのは、実は別のタイムラインでお金がほとんどいらない世界が一旦はできたのですがその世界では人々が「かんしゃく」を起こすようになってしまい、義務で労働を続けたものの、何か、おかしな感じになってしまったために、このタイムラインではお金の力が強いように誘導されたわけです。今の日本でも田舎の方に行くと変な地主や土地の有力者が威張って迷惑な存在になっていることがありますが、お金のない世界はそれが何倍にも何十倍にも拡大された世界で、一旦はその土地の有力者になってしまうとその地位が代々引き継がれ、迷惑な人がその家に生まれた場合にはその周囲の人を多いに悩ませるという状況になっていたのです。それは今の田舎の人の比ではなく、逆らったら食事もきちんと取れなくなるかもしれない、というレベルなわけです。今の社会はお金さえあれば誰に対しても食事を提供してくれますが、お金がなくなると誰かの好意で食堂など全てのお店が運営されることになり、そのお店の主人にぺこぺこしてお礼を深々とすることが常になってしまうのです。いい人ならばともかく、性格がおかしい人も中にはいて、今の世の中であればそのような変な人は稼げなくなってお店も畳むことになるので世間に変な人は少ないですけど、お金がほとんどいらない社会では倒産がほとんどありませんので、変なひともずっとマーケットに居続けるわけです。それは新陳代謝の少ない、歪んだ世界です。そのように、制限がない世界が必ずしも良いわけではなく、お金という強力な制限があるからこそ人は学ぶことができるわけです。