自称ライトワーカーがヒーリングと称して変容を推奨しています。これはいわゆるエネルギーワークで、外からエネルギーを与えることで強制的な変容をもたらすものです。とは言いましても本当にできるわけでもなくプラシーボであったり結局は自己比喩力が動いているだけだったりしますが、ここでは、理屈の上でそう言っているとでも理解しておいてください。
そのように、本当にできるかどうかはさておき、変容をもたらすワークがあるとします。それが変容をもたらすと仮定して、その変容に「理解」が伴わないのであれば宇宙の法則に反しています。やっている当人は「エネルギーワークの方が変化が早い」みたいなことを言っていたりするようですが、問題の本質はそこではないのです。当人の置かれている立場が辛いものであったとして、その状況に対する理解が進まないのであればエネルギーを変容してその状態から脱したとて、その行為は宇宙の法則に反しており、反作用が必ず訪れます。すぐに元に戻ったり、もっと大きな力で同じ状況に追い込まれるわけです。
そんな無駄な努力のようなことをせずとも、基本的にはほおっておけば理解が進んで解決するのです。それを、わざわざ恩着せがましくエネルギーワークなどと称して一見すると解決したかのように見せて高いお金を取るというスピリチュアル・ビジネスが世間で行われているのです。
せっかく理解が進むような状況に追い込んだ、とも言えて、その状況を作り出した存在たちからすると舞台を用意して役者を配置して、さて理解が進むぞという時に自称ライトワーカーと称する人たちがヒーリングと称してその舞台を台無しにするのです。ヒーリングを受けた当人は満足かもしれませんが、実際は、そこまで必要なことでもないわけです。
ヒーリングは基本的に当人の自己治癒力を活性化させるトリガーとして動作します。そして、エネルギーが入ることにより生命力が活性化します。それはヒーリングと言わなくても人と人とが接する時に起こることでもあり、特別にヒーリングと称する必要もなく、近くにいるだけで起こることでもあります。
自己治癒力を活性化させるという意味においてはヒーリングは効果があるとしても、エネルギーを触るわけですからやり方には注意が必要で、当人の問題を単純に取り去ってしまうような種類のエネルギーワークは理解を阻害し、一見するとエネルギッシュに一旦はなるが盲目的な均一化した人を作り出し奴隷のようなメンタリティの人が増産される危険性があるわけです。
このような状況に対して、奴隷のマインドが確固になったことを見届けた自称ライトワーカーや自称ヒーラーは、自分の行為が当人の理解を妨げているのにも関わらずそれを棚に上げてか或いは状況に気付かず「ヒーリングだけしてもまた元の奴隷生活に戻るだけで、無力感を感じる」みたいなことを言い、更には「(ヒーリングだけではなく)理論を教えることが必要」みたいなことをことしやかに言うのですけど、その理論とは均一化されたカルトの教義であったりして、一般的な広範囲の普遍的な知識や理解ではないのです。その理論とは往々にして「善と悪」のお話だったり「善が悪を成敗する」みたいな不思議な昔のギリシャかどこかの理屈あるいはエジプトからの流れの哲学だったりして、それはそれで興味はそそられるものの、均一化された同じ知識を教え込む、というのは宇宙の法則から言ってそれほど意義のあることではないのです。
宇宙の法則の「理解」というのは、新たな知識や理解を得るために探求する、というものです。その知識の一部としてカルトの面白い不思議な理屈も時には興味をそそることがありますが、その教義に染まっているだけでは宇宙の法則に則しているとはいえず、無限とも思えるこの世界を探求することこそが宇宙の法則に則しているのです。
よって、一見すると愚かしい状況と思えるようなものであったとしても当人の理解を妨げるような介入はすべきではなく、それは個人の単位だけでなく惑星という単位でも行われていて、地球で愚かな戦争や紛争が起きていたとしても地球が破壊されるような場合を除いては宇宙の存在はただ見守っているのです。その根幹は非干渉の法則というのももちろんあるのですけど、そのまた根底には、この宇宙の根本原理は理解であるので、宇宙から介入してしまうと惑星に住んでいる住民の理解というものがそがれてしまうため、当人たちがしっかりと見て理解することが必要であるため特別な場合を除いては介入しないのです。
人と人との関係でも同じ事で、他人の問題や葛藤があったとしてお節介にも葛藤のエネルギー(オーラ)を取り除いて解決してあげましょうというのが自称ライトワーカーであり、それは、当人の理解を阻害しているわけです。
そうなると当人の理解が進まずに生命力が落ちて理解力がなくなり従順になり、一方、自称ライトワーカーが自尊心を高める(エゴが拡大する)、という、変な状況になるわけです。そして、ヒーリングする者とされる者との間にヒエラルキーが生まれます。このような背景があって、カルト団体に変なヒエラルキーができているのも頷けます。
そして、カルトの教える教義を知っているものが正しくて正義であり悪を成敗するという構図になり、その一環としてヒーリングやエネルギーワークと称して悪と戦う、みたいな、割と無駄な努力と勘違いが自称ライトワーカーの姿であると言えます。
そのようなことよりも、宇宙の法則は「理解」であるのですから、一見すると悪と思える存在の懐へと飛び込めば良いのです。そして、悪を理解するのです。結局は悪というのは無知のことでしかなくて、理解さえすれば変容できるのです。それだけのことなのに、自称ライトワーカーは何を勘違いして善と悪の戦いにおいて悪を成敗する、みたいな風に理解しているのです。悪は存在しないともいえて、悪は無知であり、善は存在しないといえばそうですが善は知識と理解であると言えなくもないわけです。
ですから、理解を妨げるエネルギーワークは悪と言うこともできて、エネルギーワークと言っても色々ですから理解を促進させるものは善とも言えますが、ここで言っている知識とはカルトの不思議な教義(当人たちは古代の知識とか言って大切にしていますが)のことではなく状況や他人あるいは環境に対する一般的な知識全てであり、善と悪などにまつわるカルトの教義を学ばないといけないということではなく、各自の環境で自らの状況を理解し、周囲にとても酷い状況があったとしすればそれを見て見ぬふりをしたり遠目で批判・陰口を叩くのではなくそれに自ら飛び込んでいく姿勢が必要なわけです。あるいは、醜い状況が周囲にあったとしても関わるべきではなく問題の中にいる当人自身で対応していると思えば他人は関わらずにほおっておけば良いのです。中途半端な関わりを持つような野暮なことはしないことです。やるなら自分がそこに飛び込んでいく姿勢が必要なわけです。
言えば、善と悪のお話は、この「理解」とはそこまで関係がないのです。善が悪を滅ぼすとかいう二元性のある次元のお話でもないわけです。
行動した結果・成果として必要とされるのはいつも「知識・理解」であるわけです。一方、自称ライトワーカーがワークをした結果としての結果が「爽快感」ですとか「楽になった」みたいであったとして、その先に当人が本人の置かれている状況に対する理解(カルトの教義への理解ではなく)へと結びつく結果が待っているのであればそのワークは宇宙の法則に沿っていますが、ワークの結果そのように楽になったものの理解が進まない状況になったのであればそのワークは宇宙の法則的にはあまり役に立たないものであったと言えるわけです。そのように、爽快感とかだけですと(理解という目標に対して)そのワーク自体で結果が出たわけではなく、その先がどうなるかが大切なわけですが、自称ライトワーカーは往々にして「葛藤のエネルギー(オーラ)があれば、それは取り除けば良い」みたいなことをよく言いますが、その葛藤とは実は理解に至る前段階であるのですが、自称ライトワーカーはそうは思わないのです。概して「理解」に重きをおいておらず、理解よりも「綺麗なオーラを保つこと」に興味の大半があるようです。そのため、せっかくあと少しで理解に至りそうな「もやもや」「葛藤」を「取り除いて」、それで解決としてしまっているのです。それは「理解」の邪魔をしている、ということでもあります。それでいて当人はライトワークをしていると思い込んでいます。とんだ勘違いです。
オーラの綺麗さは確かに宇宙の存在それぞれの特徴としてありますけど、とても大きな視点に立った上で宇宙の法則から言えばオーラが綺麗かどうかはあまり関係がなくて、理解の過程で様々なオーラ状態になるのであり、オーラが汚れることもありますが、宇宙的にはオーラの綺麗さはあまり重要視されていません。とは言うもの存在によってオーラの違いはあるのですが、それでも、宇宙の法則の「理解」の方がオーラの綺麗さよりも遙かに重要で、行動の結果として理解を生み出すかどうかが大切なわけです。何度も言いますが理解とはカルトの教義の知識や理解のことではなく置かれた状況における自身および周囲への理解のことであるわけです。そして、そのように自身の足で立てる力を育てるのが本当のライトワークであると言えます。