お金は悪なのか (1/2)

2025-01-16公開 (2024-12-07 記)
トピック:スピリチュアル: 理解

お金が悪であるかのように言っている人が大勢いて、スピリチュアル業界においても、時に自称ライトワーカーのような人が「世の中の仕事は全て奴隷。お金を使っている時点で奴隷システムに組み込まれている」みたいに言う人すらいます。本当にそうなのでしょうか。

これも、宇宙の根本原理「理解」に即して考えれば答えが出ます。お金がある場合とない場合、どちらが多く「理解」を生み出すか、でどちらが良いのかが決まります。とは言うものの、実際はその要因だけでなく複合要因になりますから、お金があるかどうかで決められないものなのです。スピリチュアルな人は「宇宙にはお金がない」みたいなことを言いますけど、お金がない宇宙で制限がないからこそ自分の思想が正しくても間違っていてもどちらも継続され、学ぶ機会が限られているのです。正しい思想も継続できて、間違ったおかしな思想も継続できるのが宇宙なのです。それよりも、間違っているとお金の制約があって学ぶことができるこの地球の社会の方がよほど健全だとは思いませんか。

宇宙における争いもそのような自己正当化によってなされるのですが、その場合、自らを省みて学ぶ機会が限られるのです。よって、勝った方が必ず正しいというわけではなく、不調和も生み出しているわけです。一方、地球はというと経済あるいは物質の制約により新陳代謝が起こります。この方がよほど健全なわけです。

地球においても、田舎にいて昔から力を持つ地主や名士がいて、良い人もいれば厄介な人もいて、この地球の現状ですら厄介な人が力を持つと周囲は迷惑を被るのに、お金がなくなって没落というものが少なくなったとしたら、厄介な人たちの影響力が世代で継続したらその社会が継続的に停滞するわけです。それよりは、厄介な人たちが疎まれて経済的に困窮して没落する今の社会の方が健全なわけです。

たしかにお金がなくなると衣食住には困らなくなるかもしれませんが、別のタイムラインの共栄圏で見たように、その人がどのような家柄で何をしているのかが重要になり、家柄と役職およびお供の者を引き連れて初めて良い食事や豪華なホテルに泊まることができて、そこでの扱いも大きく変わってくるのです。お金がなくなればその他の要素で差別化するようになり、その時、一番わかりやすいのが家柄と役職なわけです。そのどちらもない平民は良いホテルに泊まれないか他が空いていない時だけ仕方なく泊めてもらえる、という程度の軽い扱いになります。

(続きます)



お金は悪なのか (2/2)(次の記事)