何かを知っている、ということを生きる糧にしている自称ライトワーカー (1/2)

2025-01-01公開 (2024-12-07 記)
トピック:スピリチュアル: 理解

秘密主義であり、相手が知らないカルト理論を自尊心として隠し持っているのが一部の自称ライトワーカーであるように思います。

一方、健全な活動はその指針を最初から公開しています。その指針は分かりやすいものである一方で深い面もあり、最初は表面的に理解して、後でまたその意味を再度、改めて理解する、という場合が多いように思います。

例えば「理解」などというお話も最初に聞けば「そうなのですか」と思うくらいですが、その内容を宇宙の根本原理と合わせて理解すると「理解」というものに対して新たな視点が開けるのです。そのように、奥深い理論を含むのが健全な活動であると言えます。

一方、例えば自称ライトワーカーが最初は「他人に迷惑をかけない」みたいなことを言っていたとします。しかし、それは全てを言い表してはおらず、隠し事をしているのです。そのように、自称ライトワーカーは隠し事がお好きなのです。

一般社会においても、隠し事が好きな人にはあまり良い人はいないでしょう。それと同じです。何か、含むものがあって、闇があるのです。

確かに、過去において一部の宗教団体や思想は弾圧されたり誤解されたり興味本位の嘲笑の対象になってきましたので、自身のスピリチュアルな成長の妨げになるという理由で公開を辞めた団体や思想もあります。

とは言うものの、自称ライトワーカーは本当のことを言わなくて、後で「実は・・・」みたいなことを言ってマウンティングすることが多いのです。ですから、話をしていても、「本当はそうではないけど、そう話した」みたいなことがあって、真面目に話せないのです。いつも表面的かと思いきや、「実はその先は言えない」みたいに言うので、本心が隠れているのです。

そして、「言えない」と口にする時に見え隠れする自称ライトワーカーの自尊心が気持ちが悪いのです。それはエゴです。自分だけが真実を知っているという驕りがそのような表情に表れるのでしょう。自称ライトワーカーの中にはあまり健全な団体ではないものもあるように思います。

何か知っているそぶりを見せて煽ってきても、あまり関わらない方が良いと思われるのが自称ライトワーカーです。

本当のライトワーカーは、どちらかというと世間にいる普通に優秀な人に紛れています。一方、自称ライトワーカーは何やら知っている風なそぶりをして煽りをかけてきます。その違いは歴然です。

(続きます)