自らの理解の妨げになる人とは付き合わない

2025-01-18公開 (2024-12-07 記)
トピック:スピリチュアル: 理解

行動が好ましいかどうかは結果として生まれる理解が大きいかどうかで判断できます。その範囲はそれぞれの行動の影響範囲に応じていて、個人であれば基本的に個人としての範囲で生まれる理解の量がその基準となり、団体であればその団体としての範囲で生まれる理解の量がその基準になるわけです。

ですから、自らが何かに興味があり関わっていて理解を生み出している時、他の関わりをすることでその興味へ割く時間が削られて生み出す理解が減るのであればその他との付き合いは障害とみなされるわけです。

仏教とかですと単純に「不道徳な人とは付き合わない」と言いますけど、それも確かにある程度は正しいわけですが、不道徳な人とそれに近しい思想を持つ人とであればお互いにその不道徳な行動から学ぶものがあるわけです。特にそこに道徳的かどうか不道徳かの基準があるわけでもなく、単純に、理解を生み出す量が多いかどうかで宇宙は行動を正当化するように思うのです。とは言うものの不道徳な行動は迷惑をまき散らしますので基本的に不道徳な行動は理解を増やさずに他人を誤魔化したり騙したりして他人の理解を邪魔するわけで、そうなると、やはり不道徳な人は社会にとって害悪なわけです。それは二元論的な善と悪の解釈ではなくて、理解を阻害するので宇宙の法則にそぐわない、という意味での害悪なわけです。

よって、基本的には相互理解が基本になるとしても、不道徳で信用できない人とは付き合わなくて良いわけです。そうすることによって不道徳な人が孤立して経済的にも困窮します。

一部には、某国やテロ集団のように嘘を広めて自分の不道徳さを隠して自国を美化して他国を貶めるような国や集団もあるわけで、そのように不道徳な国や集団というのも宇宙の法則にそぐわないので長期的には継続できずに崩壊する定めにあるように思います。

こういうことをいうと、決まって「他人と付き合わないなんだ、なんて酷いことを言うのだ」とか言う人がいますけど、不道徳な人と付き合わないことのどこが酷いことなのでしょうか。不道徳な人の方が酷いのは当然でしょう。上手いこと宣伝すれば真実が隠れて自らの歪んだ思想が通るのがこの世界の現状でしたが、宇宙の法則はそのような歪んだ不道徳の継続は許しませんので大いなる反動が来ます。その時は実はその反動はその不道徳な人だけでなく大勢お巻き添えになるのが常です.と言いますのも、不道徳な人を止めなかったカルマが蓄積されているのであり、特に、間違っているとわかっているのに報道するのを辞めなかったマスコミは「自分たちは報道していただけ」という言い訳は通用せずに崩壊の道を辿っているのは今既に起きている事実かと思います。

これから、このような既存の仕組みの崩壊が加速するように世間では言われていて、その理由としてそういう時代だとか色々と語られていますけど、その理由としては宇宙の法則の「理解」を妨げているから、というところにあるように思うのです。



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