時々誤解されるのが、ワンネスになると全員同質になって同じように考える、という解釈です。ワンネスまで行けば1つであることは確かにそうですがこの宇宙は「理解」のために分裂したわけですから、分裂した個々が同質になるということは元々の宇宙の「自分を知る」という目的とは反するものなのです。そのようなことをしたら皆同じになって自分を知ることができなくなってしまいます。よって、同質の人々で構成されている社会、そのようなところを目標として活動している団体や国というのは必ず崩壊します。何故ならそのような同質化は宇宙の法則にそぐわないからです。
このような同質化は社会あるいは団体の停滞を招き、生きがいのない、暗い顔をした、よどんだ人々を生み出します。
一方、多様性のある社会というのは変容をもたらし、人々が生き生きとし、明るい顔をした、楽しげな人々を生み出します。
一見すると平和で悩みのない社会というのがワンネスかのように誤解されがちです。私のグループソウルの記憶の中にプレアデスに転生した記憶があるのですが、そこはとても平和である一方で、間違った価値観を許さないという窮屈さもありました。プレアデスの社会は礼儀正しく振る舞う人の割合が多く、一見するととても高度なレベルの調和があったわけですが、そのような排他的な面こそが争いを生むということにプレアデスのような人たちですら気がつかなかったのです。
プレアデスの基本的な考え方によれば、人々が皆調和になれば争いは止む、ということがあります。ですので、そのような考えに基づき、地球を助ける際も「調和によって争いを止めさせる」という試みが何度もなされてきました。中東の紛争にしても、多くの人たちが同じような試みをしてきてその無力さに無力感に苛まれてきたのです。
これはどうしてでしょうか。それは、他人を変えようとしてきたからです。他人を変えて同質にしようという試みは必ず失敗します。最初は良くても、そのコントロールに気がついた人々が怒りの行動を示すようになるからです。コントロールしようとしている側としては人々が良かれと思ってやっている場合も多々あり、人々が受け入れば幸せになるのに、どうして人々は同質になって幸せにならずに苦しむことを選択するのか、人々の気持ちを理解出来ない場合も多いわけです。
これはプレアデスと他の社会との交流でも起こりました。プレアデスは自分たちのやり方に他の社会も合わせるべきだと考えたのです。そして、プレアデスの社会と異なる箇所を見つけては、それを修正することで調和に至る、というお節介をしたのです。これが、他の社会への介入とみなされ、調和のための提案であったものが調和を乱す者としてプレアデスは他の社会からみなされるようになりました。
(続きます)