ワンネスとは同質であることではない (2/4)

2025-01-04公開 (2024-12-14 記)
トピック:スピリチュアル: 理解

(続き)

これは、どちらかの文明が勝つことでその文明に同質化され、「勝てば官軍」と言われているように、優れた文明だからこそ勝利した、という歴史が作られてきました。それによりプレアデスの優位性およびその平和を守る者としての地位は揺るがないものになったかに見えました。

実のところプレアデスの人々の社会性とは礼儀正しい白人ような人たちのようなものであり、ハキハキと明るくて明晰で、アメリカ社会の基本的なところにも通じるものがあります。アメリカが他国をお節介で介入して紛争を止めたり広げたりを繰り返しているのも、どこかプレアデスのやり方に似ている部分があるように思えます。平和と調和を謳いつつも、同質の社会をもたらすという点においてもプレアデスとアメリカ人はどこか似ているのです。

そして、自称ライトワーカーあるいは環境活動家、思想家、といった人たちがこぞって言うのが「調和によって争いを止めさせる」という主張です。立場が違う筈なのに、何故か、この点においては割と意見の一致を見るのです。これはプレアデスなど、過去において成功体験があった人たちの流れを組むものであるように思えます。そして、割とこの点においては人々は良く納得するのです。ここが落とし穴です。

かつてプレアデスやオリオンにおいて、そのように、「調和」を表立っては目指しつつも実は「同質」になることを目指してきた動きがありました。そのように、調和だけであれば皆が納得するものの、その背後に、「それは、同質になることを意味する」という暗黙の了解があったのです。これが、「調和」という言葉に隠された意図であり、そこが、争いの種になったのです。

言葉そのものを見てみれば「調和」は「調和」それだけでしかなく、そこに、「同質」という意味はありません。しかし、過去において、「調和」と言ってきた人たちの中に無意識あるいは薄々気がつきながら「その調和とは、同質になることを意味する、よって、我々の社会と同じように皆がすれば調和は達成される」と考えた文明が多くあったのです。そして、その1つがプレアデスでした。

プレアデス、オリオンなど、数々の文明が交流し、やがて、調和を目指したものの、その調和とは「何かの1つである同質になること」であったがために、それは宇宙の法則の「理解」に反するものであったために、宇宙の強力な抵抗の力となって現れたのです。それがオリオン大戦の起こった根本的な原因であったように思えます。

(続きます)