(続き)
人々は考えました。「なんだ、調和とか平和とか良いことを言いながら、結局、支配しただけじゃないか。俺たちは騙された。」と言い、反乱軍を組織しました。一方、支配者側からすれば「調和を乱す乱暴者たちは取り締まる必要がある」と考えました。調和で平和な社会を乱す反乱者として扱われたのです。
プレアデスは均一的な調和の取れた社会でしたし、今もそうですが、どこか社会が停滞していて、それ故に、他の惑星に関与してその惑星の霊的な成長を助ける、という宇宙的な活動もしています。それはスタートレックにも代表されるような人道的な活動でもあるのですが、その活動が最終的には均一化された社会を目指したが故に、一部の社会から反発が起きたのです。
プレアデスの主張するワンネスと調和というのは、今とは少し違った意味を持っていたように思います。そこでのワンネスとは均一化するということであり、プレアデスのように調和な社会になれば平和が訪れる、ということでした。実はそこに、大きな争いが発生する火種があったのです。
実のところワンネスというのはそのようなことではなく、究極的には1つであって宇宙は「理解」のために分離した、という根本原理を説明するためのワンネスと、今ですら実は高次元の根本としてはワンネスである、という両面のお話なのです。ですから、実はワンネスであるからといって同質の社会を目指す必要はない、と言いますか、全く異なっていても常にワンネスであるわけで、戦争をしていたとしてもそれはどちらもワンネスなわけです。そのように不変で変わらないからこそワンネスであるわけですが、ワンネスとは同質化された社会や考え方を目指す、という解釈が昔から存在しているわけです。
これはスピリチュアルでも一般的にそうで、スピリチュアルでワンネスというと同質な考え方や動きを暗黙に期待および矯正する、という面が往々にしてあるわけです。そして、それにそぐわない人は調和ではないと考える。そのように画一化された人々が生み出される、あるいは、人々を画一化した考えに導くような状況は、実は、「理解」という宇宙の法則に反しているのです。
このような考えで動いた結果、例えば地球の紛争を解決しようとしても、それは「理解」という根本原理に沿っていませんので、いくら「調和によって平和を導く」と活動をしてもはじき返されてしまうのです。
ましてや、単純な二元論に陥って「こちらが善で、あちらが悪」とみなし、紛争を起こしている片方を悪とみなして懲らしめたとしても、そこに「理解」というものがないのであればその人たちの中から新たな紛争をやがて生むことになり、争いは終わらないわけです。
(続きます)