ワンネスとは同質であることではない (4/4)

2025-01-06公開 (2024-12-14 記)
トピック:スピリチュアル: 理解

(続き)

二元論の自称ライトワーカーは「争いがあったとき、先に手を出した方が悪い」という単純なお話をします。どちらが先に手を出したのか分からないような長く続く紛争に関しても「そういう場合でも、辿っていけば、先に手を出した方が悪い」という単純なお話で片付けようとしているのです。そのような二元論がこの社会に争いを生んでいることに考えが及ばないのです。片方が善でもう片方が悪だとしてしまったら、悪である側はその後ずっと下級市民として虐げられてしまいます。そのような階層社会に救いが本当にあるのでしょうか。そのような二元論による社会の分断を自称ライトワーカーが作り出したとして、本人たちはその現実を目視できるのでしょうか。単純な二元論を由として悪を成敗する、という子供のような考えに陥っているだけで、この社会に平和が訪れると本気で思っているのでしょうか。そのように、「理解」の視点の欠けた活動は必ず崩壊し、争いを生みます。

同質の社会を目指すのではなく、理解できる範囲で理解し、理解できないところが必ずあることを前提にする社会にする。それが必要であるように思います。ですから、理解できる範囲でまとまって生活し、理解できない人とは限定された付き合いをすることです。それは今すぐに理解できないというだけで理解を目指すべきであり、無理をする必要はありませんが、分断を前提にするべきではなく、同質の社会を目指す必要はなく、同質にしたいのなら自発的にそうすれば良いのであって、他者から押しつけられるものではないわけです。

押しつけられた同質化というのは理解を欠き、社会の停滞を招きます。一方、少しづつでも理解を基本とすれば数パーセントでも少しづつ成長していきます。それは同質ということではなく、そこには変化があります。変化があるということは幾分かの破壊と再生があるということです。その中間に一時的な「維持」があります。

プレアデスは「維持」に極端に偏った結果、同質化をもたらし、新陳代謝が失われたことによって社会の停滞に至ったように思うのです。自称ライトワーカーも似たようなところがあり、「維持」を目標に掲げて同質化および調和による平和を目指しているという点で、プレアデスの流れを幾分か受けているように思うのです。自称ライトワーカーにとってみれば「宇宙の教え」に従っていると思っていて、それで地球が救われると思っているかもしれませんが、実のところ、この宇宙の法則は「理解」であるために、自分で考えない者には答えはやってこないのです。

誰かに教えられた教義ではなく、自分の頭でしっかりと考え、何が良いのか、何が悪いのかを考える。そして、同質化に甘んじることなく、どこに向かえば良いのかの答えを見つけること。それができないのであれば地球はまた分裂して紛争は続くでしょう。

一方、「理解」を元にすれば意外なほど早くこの地球に平和が訪れます。「なんだ、そんなことだったのか」という単純明快で誰もが分かるお話でこの地球に呆気なく平和が訪れる可能性が示唆されています。理解してしまえば変容はすぐなのです。

そうなれば、同質になる必要もなく、同質になってみる自発性もあれば、自由に新たなことをやってみることもできるのです。そこに理解が生まれます。それこそが地球の目指すべき道であり、その結果として「調和」「平和」というものもやってくるわけです。

その根底にあるのはワンネスに対する理解ですが、ワンネスが同質であることを意味しなくなり、ワンネスが本来の意味である根本であることが人々に理解され、それにより、同質化を強要する人もいなくなるのです。そして、本当の意味のワンネスに基づいた平和が地球に訪れ、多様性および理解に基づいた社会に導かれてゆくのです。