(続き)
自称ライトワーカーは「(固定化された)何か」を理解すれば世界は平和になると思っているのです。その、「(固定化された)対象のある」理解さえすれば良い、という概念がそもそも勘違いなのです。1つの考えであるところの善と悪および善による世界の統一というストーリーは成り立たないのですが、それをオリオンの時と同様に、今度こそ実現しようと自称ライトワーカーが(実質的には)割と無駄な努力を繰り広げているのです。それは社会の有り様には意味がなくても、カルマの解消という点においてはそれなりに意味のあることなのです。
その構図をこの地球上で再現して、自称ライトワークを行い、実は大して意味がないといえばそうなのですが当人たちはまさに「夢」の中に生きて、社会に貢献していると思っていて、当人たちは地球を救っていると思っているのです。それは決して無駄なことではなくて、この地球という学びのプラットフォームがなければ更に長い時をかけてオリオンの記憶を整理および統合していかなければならなかったものを、物理的な体による制約を受けたことにより学びが加速されているのです。
神様が用意した箱庭においてライトワーカーごっこを繰り広げているのです。時に、勘違いをしたカルトが現実社会に影響力を与えようとすると地下鉄なんとか事件のオ○○みたいなことが希に起こりますが、たいていの場合、大人しくライトワーカーごっこをしている分には害がないのです。
ですから、自称ライトワーカーがライトワークごっこをするとしても、それは、オリオン大戦を繰り返さない、という学びにおいて、重要な意味を持つのです。ですから、学びは継続されなくてはならない。でなければ、またこの銀河は分裂を繰り返します。
その答えは既に「理解」という宇宙の法則にあるのですが、そこに気がつくまでライトワークごっこは続くように思います。ですから、見守ることが肝心かと思います。
ちなみに、この「夢」というお話は時にスピリチュアルで誤解されているお話でありますけど、この地球という状況は特殊で、学びのために特別に準備された場であるわけです。それを誰が準備したかは以前に少し示唆した通りではありますが、誰が準備したかはさておき、この地球に「夢」のように儚いものとして生まれて物理的な制限下で学びを深めているのです。
宇宙においては制限が遙かに少なく、自らの「理解」が宇宙の法則と照らし合わせて間違ったとしても広大な宇宙の中ではそれなりに正当化され、存在することができてしまいます。何故なら宇宙はそれだけ広く、無限ともいえる可能性がそこにはあるからです。ですが、それですと宇宙が目指している統合および「理解」にはなかなか結びつかず、異なる文明が接触した際に分裂およびお互いが正義および善を主張して悪(という決めつけ)を滅ぼす構図ができてしまうわけです。そのような状況は最初は善が勝利したかのように見えて実は「勝てば官軍」という状況になっているだけであり、やがて、これは間違っているのではないかと気づき始めた人たちがいたわけです。と言いますのも、繁栄しているかのように見えた文明、例えばプレアデス等もどこか停滞の兆しが見えていたからです。
(続きます)