(続き)
又、その舞台で踊る役者をそろえるために「イニシエーション」と称して「設定」の入ったオーラを他人に埋め込み、その気にさせます。これで役者は整いました。あとは、役者が踊るだけです。
ですから、端から見てカルト教団が自称ライトワークをしていて不思議に思えたり、はたまた傍目には気持ち悪く思えたりするかも知れませんが当人たちにとっては重要な学びをしているのであり、この地球はそのような多様な学びをするプラットフォームであるわけですから、そのようなカルマのない人がそれを見たとして、特に用がなければほおっておくか、見守るくらいがちょうど良いのではないかと思います。
そして、そのように自称ライトワーカーの活動すらも(愚かなことではなく)「学び」「理解」の一環なのです。善と悪に分かれて善に勝つというストーリーが如何に理解を阻害するのか、その全容をこの地球という「夢」で学習しているのです。それは夢とは言っても幻想ではなく、現実たる宇宙に対してこの地球は夢で、一時的な学びを加速的に制限下で行うことでよりよく理解できるようになっているのです。
どちらにしてもそのような地球での活動は「夢」でしかありませんから、ひとときの炎のように燃えさかっては消えることでしょう。時に、カルトであったとしてもオリオン大戦の残り香としてそのような儚い夢を見るのも悠久のこの時における「学び」の楽しみの1つと言えるのです。
そして、更には、そのような自称ライトワーカーでライトワークごっこをしている人ですらも地球の管理者からすれば救済の対象であり、そのオリオンからの呪縛を解消して人々を自由にし解き放とうとしているのです。
と、言いますのも、そのような自称ライトワーカーたちの「箱庭」としての心の世界を作り出したのは、やはり神様なのです。ですから、その世界観が本当のこととは異なっていたとしても、それで良いのです。その箱庭においては転生はなく自分たちが世界を救うライトワーカーだという設定になっているのです。そして、神様はその箱庭によってオリオン大戦で何故に「善」を自称していた人たちが失敗したのか、追体験させて本当は何が必要だったのか学ばせようとしているのです。その試みは閉じられた箱庭で行われているものの、周囲の人の干渉もありますので、ですので、秘密主義にして自分たちだけが本当のことを知っていると思い込まされているのです。それによってオリオン大戦の失敗を学ぼうとしているのです。
神様が用意した箱庭で、幻想のような「夢」を見つつ自称ライトワーカーたちがいわゆるライトワークごっこを繰り返しているのは、オリオンのカルマに基づいて学びを深める必要があるからであり、決してその時と同様に光の側のライトワーカーとして悪を滅ぼすという単純な二元論を再現するためではないのです。この地球で二元論による勧善懲悪が行われているが故に紛争が絶えないのは同じ根本原因によるものであることを理解するまでその箱庭ゲームあるいはライトワーカーごっこは続くのです。