オリオン大戦の残党が見る夢

2025-01-12公開 (2024-12-15 記)
トピック:スピリチュアル: 理解

そのように、オリオン大戦の残党がここ地球においてライトワーカーごっこを行い、当時の内省をしているのです。

この世が夢だ、ということはよく語られます。そしてその時、スピリチュアルな人は傲慢にも「夢だから大した意味はなく、この世界の煩わしさに囚われず好きにすれば良くて、世界を救わなければならない」みたいに考え、それを喧伝しさえします。それは色々な人がいますから、それが正しい人もいます。

しかし、オリオン大戦の残党にとっての夢というのはそういうことではなく、「本当の人生は遙か彼方にあってこの現実は夢のようなものだが、この環境において学ぶという意味がある。世界を救わないといけないと思っているのは幻想であり、本当の救済とは自分たちの考えや行いが如何に間違っていたのかを学ぶことである。」というのが本意であり、このことが「原罪」を償うということでもあり、原罪を抱えて生きている人が過ちを学ぶまで苦しみが続く状況の背景でもあるわけです。

スピリチュアルでは、この世界が学びの場で学習に来ているのか、あるいは、そのような学びなどなくて遊びに来ているのか、という論争がよく起こります。これは実は両方が真実で両方の人が混じっていますので議論には意味がなく、人によっては学びに来ているし、人によっては遊びにきているだけのことなのです。ただし、学びに来た筈なのにそれを忘れて遊びに来たのだと思い込んでいる人が一定数いて、そのような人は目的を忘れてしまっているのです。

往々にして、本当に地球に遊びに来た人はスピリチュアルとか言わずに普通に人生を楽しみます。スピリチュアルを言っていて楽しみとか言っている人は本当は学びに来ていることの方が多いように思います。(これは個人的な主観です)

世界を救わないといけないかのように思っているのは遙か昔のオリオンの記憶においてその星系を救うことができなかった辛い記憶がトラウマになっているからであって、本当にこの世界を救う行動を試みるかもしれませんけど挫折するか「ごっこ」遊びに終わるのがせいぜいで、世界を救うこととその根幹の原因であるモチベーションは別であり、世界を救うと言いつつももう既に現実は遙か昔に終わっており、実は自分自身の昔のカルマを救うことがそのようなことを言っている人にとって第一なのです。

ですから、世界を救うとか自称ライトワークなどをしている人が急に自分の行動の根源たる部分に気付いたり、はたまた、自分の考え方が間違っていたが故に争いが起きていたことに自覚的になると急に自分の「世界を救う」行動のモチベーションが絶たれて目が覚める、ということになるのです。

この世界というのは夢でもあり現実でもあります。オリオンの記憶の中に生きている、自身の幻影の中に生きているという意味において夢でありますし、はたまた、本体の魂は宇宙あるいは高次にあってこの肉体としての人生は幻想であるという意味においても夢でありますけど、どちらの場合においても、「学び」という点においては夢ではなく意味があるのです。学んだ結果、自らが(二元性のある争いという)幻想の中に生きていたことに気が付いて、目が覚めるのです。

オリオンのカルマは膨大ですから、そのカルマたるオリオンの記憶を追体験あるいは分散して解消するために「イニシエーション」というもので記憶のオーラを他人に移し、(本来はオリオンのカルマを持たないのにも関わらず)一時的な仮想現実を生き始める人がいます。時に、その協力をして当時の二元性たる「善と悪」がどのようなものだったのかを体験するのも少しは勉強になることもあるかもしれません。ただし、万人が行う必要はないと思います。

元々オリオンのカルマを持っていた人が中心となり、周囲に「イニシエーション」で一時的な配役をし、役者が踊る。それが自称ライトワーカーによる二元性のある「善と悪」の戦いの現状かと思います。「ごっこ」と言いつつも本人たちは割と本気だったりしますから周囲から野暮なことは言わない方が良いと思います。特に害はないのであれば、ほおっておけば良いのです。当人たちは学びをしているのです。

そして、「世界を救う」など幻想だったことに気がつき、そのような「夢」を見ることを辞めれば活動から去って行きます。そして、オリオンに関わった多くの人が夢から覚めれば自称ライトワーカーの活動は自然に消滅してゆくことでしょう。

しかし、その時はまだ先のようです。

その時までは、ライトワーカーごっこをしている人たちを横目で見つつ観察するのも時には一興というものです。興ざめにならない程度に踊って頂ければそれは本人のみならず周囲にいる方にとっての学びにもなるわけです。


・・・そのような自称ライトワーカーを傍目に、本当のライトワークをしている人もいます。それは二元性を超えたもので、善と悪の戦いを超越しています。本当のライトワーカーが救うべき対象は全ての人類で、その中には自称ライトワーカーも含まれます。ですから、自称ライトワーカーが二元性の善悪を超えるための手助けもしているのです。本当のライトワーカーは全ての人類の中に入り込んで中から変える、ということをしています。外から批判したり善悪の戦いで悪を滅ぼす、というやり方は取りません。本当のライトワーカーは悪と思われるような組織や国或いは支配者の中に奥深く入り込んで、内側から変えていきます。自称ライトワーカーたちの中にもそのような本当のライトワーカーが紛れていて、中から変えようとしている場合もあります。ですから、自称ライトワーカーは自分たちの活動が肯定されているような勘違いをせずに二元性を超えた本当のワンネスに近づけるような努力が必要なのですが、自称ライトワーカーにはそのように自分たちが足りていないという認識が足りずに自分たちは「既に達成した」と傲慢にも思っていたりしますから、なかなか自称ライトワーカーが変わるのは難しいようです。むしろ一般人で社会に貢献している人の方がよほど素直で成長しやすいように思うのです。

オリオン大戦の残党が見る夢で自称ライトワーカーをしている人たちは、なかなか変わることのできない、厄介な存在のようです。そのように、自分たちが「善」であるという考えに固執して「支配者を愛と善の気持ちに変えることができれば世界が救われる」と信じて「悪を滅ぼす」ために活動しているのが自称ライトワーカーであり、それは現実の世界においては紛争の思想的背景になり、やもすれば(オリオン大戦のような)破滅的結果に繋がるのですが当人たちはそうは思わず、悪を滅ぼせば地球は救われると単純に信じているのです。そして、その思想はオリオン大戦の残党によるカルマによるものなのです。

それら全てが「夢」であり、現実には起こっていないことなのです。本当の戦いは遙か昔のことで、今起こってはいません。私たちの本当の自分というものも肉体にあるのではなく魂の記憶たる高次元の中にあり、そのような意味においても、この地球の現実は「夢」であるわけです。

「善と悪」「悪を滅ぼす」という二元性から離れ、「理解」という根本原理に辿り着くまで自称ライトワーカーごっこは続くでしょう。自称ライトワーカーは善を標榜し、「理解など、悪に対しては無意味」とさえ言い放ちます。そのような態度であるが故に、悪を理解するために自称ライトワーカーが闇堕ちするのです。そして、今まで悪と思っていたものを自らが経験し、ようやく二元性を超えた理解に達します。あるいは、そもそも善に固執しなければ闇堕ちもなく、二元性とは無縁でいられます。単純に「理解」という根本原理に基づけば良いのです。その時が来るまで、二元性のある自称ライトワーク活動は続くことでしょう。二元性のある「夢」を見続けるわけです。自称ライトワーカーは、この世が善と悪に分かれているという二元性の価値観の「夢」を見続けるのです。