悪は無理解と抑制から生まれた (1/3)

2025-01-20公開 (2024-12-21 記)
トピック:スピリチュアル: 理解

善と悪とは対比構造であるとよく言われます。それは二元性を克服していない状況でもあり、善と言われるものが存在しているのは対比として悪がいる、というのは、そのような二元性の世界に生きているからです。その二元性の世界は克服して統合されたワンネスへと近づいた世界へと移行することができるわけですが、いわゆるワンネスになると(その前の段階での)善と悪は存在しない一方で、いわゆるワンネスに辿り着く前では善悪が存在するわけです。(究極のワンネスのことではなく相対的なワンネス、統合意識としてのワンネス)

そして、いわゆる善の有り様とは「自覚的な自他への節制」と「(自身が無自覚的に)他者への無理解」(無理解があるということにそもそも無自覚、無理解があるとすら考えていない、あるいは見ようとしない、目を背ける)であると言えます。

社会の有り様として、プレアデスの社会が例として適当のように思います。プレアデスの社会は統一が取れていて人々は礼儀正しく、節度ある振る舞いを取ることが求められています。それは社会として礼節が重んじられているということでもあり、一方、それに適さない人は不適合者として扱われます。地球と同じようにプレアデスにも罰を取り締まる組織があって、犯罪者は隔離されます。そのような社会においては、日本の状況より遙かに、統一された礼儀正しい態度を取るという見えない同調圧力がプレアデスの住民にはかかっているのです。それはプレアデス内部だけでなく、他の星系の住民と接触した時にも同様に発生し、他の文明に対する同調圧力および干渉が始まりました。初めは好意で行っていたかのように見えた干渉も、やがて、同調圧力および振る舞いにおける上下関係あるいはヒエラルキーのようなものへとなってゆき、プレアデスの方が上で、他の文明は劣っている、というような価値基準が広がったこともあったように思います。今でこそプレアデスは学びを深め、文明には多様なものがあるのでそれぞれを尊重すべきだし学びというものは一様ではないことを学習し、そのように振る舞うよう努力しています。その一環として惑星の非干渉の法則も理解されるべきで、地球が如何に愚かな戦争を繰り返していても宇宙からは(大規模な破滅的状況を除いては)干渉しないのです。

(続きます)