葛藤を見出した時の二元性あるいはワンネスの解釈の違い

2025-01-26公開 (2024-12-27 記)
トピック:スピリチュアル: 理解

二元性の争いの状態にいる人と、ワンネス・統合のそれぞれの立場において、葛藤を見出した時の解釈の違いがあります。

二元性の争いの状態においては、葛藤とは悪そのものであり、切り離すべきものであり、悪は成敗する対象になります。誰かがトラウマあるいは過去の記憶によって乱暴な発言あるいは想念ですら発したとして、そのような人は悪であると判断されます。

一方、ワンネス・統合の立場においては基本的には調和ということではありますけど不和や葛藤というものも含めてワンネスなわけです。ここによく誤解があって、ワンネスであれば不和はないのだとか葛藤もないのだとか乱暴なことはないのだとか思われることがありますけど、ワンネスとは全てを内包したものであり、この世界がワンネスだとしたら既に今の状態がワンネスであり、現状のこの世界がワンネスそのものであるわけです。ですから、創造や維持や破壊も含めて全てがワンネスでありますから、二元性の世界をも含めてワンネスであり、トラウマや過去の記憶によって乱暴な発言あるいは想念を発することすらもワンネスなわけです。

二元性の世界においては、誰かが善であるか悪であるのかは、その人が内包している質によって判断されます。乱暴な質がなければ善であり、乱暴ならば悪という単純な論理です。そして、一見すると善であるかのように思えていた人であっても、とある時に瞬時に乱暴な発言あるいは想念を発しようものなら悪とみなされて除外されてしまいます。善というのがとても狭い範囲の解釈に留まっており、よって、善の自称ライトワーカーのような人たちは周囲の人から悪とみなされないように日頃気をつけていて緊張感が漂っています。安心するところがないのです。そして、悪とみなされる気持ちがやってきた時の対処として、自らの中にある葛藤を見ようとしないあるいは切り離して捨ててしまうことにより自らの善を保とうとしているのです。分離により自らの状態を善に保とうと常日頃努力を続けているのが二元性の世界における善と悪のスピリチュアルです。この種の人は時々「善が強まれば、悪も強まる」みたいなことを言いますけど、それは、分離が強まっているためにそうなるわけで、自業自得なわけです。宇宙の法則は理解と統合を求めてその方向に動きますけど、分離をして善の立場のみにいようとすれば宇宙の強力な力によって悪(とその人がみなしているもの)と統合する圧力が高まります。よって本人にしてみれば「悪が強まる」みたいに感じられるかもしれませんけど、それは当人の意識が分離がそれだけ強く分離されているということなのです。バランスを崩しているのです。そして、このような意識こそが世界に紛争を起こす引き金となり、思想的な支えとなってこの世界から争いがなくならない状況を作っています。葛藤が現れれば分離して悪とみなし、その悪を成敗してもよい、むしろ成敗すべき、という思想的背景があってこの世界の紛争は正当化されているのです。

一方、ワンネス・統合の立場においては話は簡単です。よく見て、感情を味わって、そして、統合されます。それで終わりです。自らあるいは誰かの中に葛藤や時に殺意すら見出したとしてもそれは同様で、それは悪といえばそうですけど単純な善悪論で切り離そうとはせず、味わって統合します。とは言いましても自らの手に負えないほどの強いオーラあるいは意識体というのはあって未熟な立場なへなちょこではやられてしまいますけど、原則としてはそうなのです。理解できないものがあってもそれは立場の違いや解釈の違い、あるいは、そもそも役割が違うのだから理解する必要がないと悟り、自らの理解の範疇を少しづつ自らの解釈で進めることをします。そしていつかは理解できる日が来るでしょうし、とは言いましても今世の中では理解できないかもしれません。ですがそれはそれで構わないのです。善と悪という単純な解釈ではなく、ただ単に、まだ理解できない、とだけ解釈します。そして、他人の自由をなるべく保障します。他人を尊重します。何故なら全てはワンネスであり全ての存在は自分自身だからです。それぞれの立場で分離してるからこそ異なった理解を深めることができるわけです。ですから、他人のことが理解できないというのはむしろ恩恵でもあるわけです。

ちなみに、宇宙の法則の理解を進めて運用している時に「分散して理解を深めよう」と宇宙の意識が思い立ったことがあるそうです。そして、同じ疑問を沢山の意識に分散する、ということを行いました。と言いますから今もそれは起こっています。そのうちの一つが「葛藤の原因」であり、それ故に、人々の中には自らのものではない葛藤の原因が沢山眠っているとのことです。ですから、宇宙の意図としてはそれを理解することなわけですが、多くの人はそれに拒絶反応を起こしているようです。はたまた、それを分離して悪とみなすような人もいます。ですが、宇宙の法則が「理解」である以上、理解に辿り着かない行動は回り道であるとみなされます。やがていつかは理解に辿り着くものであるとはいえ、遠回りであるとみなされます。そのように、分離して二元性の善悪として解釈するのは遠回りなわけです。一方、ワンネスとして感情を味わって昇華するとすぐにその葛藤は解消されます。それは理解という方向に沿っているからです。

とは言いましてもその葛藤の大きさに応じて時間を要するものもあります。それはオーラの強力さにも比例して、強いオーラの解消には時間がかかりますが、それでも、原則としては同じなわけです。