▪️心の成長の段階
1. 獣、受動的な存在
2. 自我が生まれる。プライド、自尊心
3. 欲望、目に見える欲望、餓鬼、修羅、戦い
4. 何が正しいのかを知る。ダルマ。正義、善と悪、二元性の世界、光と闇、二元性の戦い、自称ライトワーカーの光の側の戦い、闇を討ち滅ぼす正義の光としての戦い、闇の戦い、破壊の美、破壊を善とする思想、破壊を正義とする思想、お互いに自分が光で相手が闇だと思っている二元性、幻想の世界、マーヤーとしての非真実の世界、あたかも存在する。思考、マインドの世界。
5. ワンネスの世界、善と悪の超越、二元性の克服、戦いの克服、光と闇の二元性の克服、本当の世界、本当の自分、実在の世界、実際の存在、本質的な存在、非物質の実在、意識
世界とは自分の心を映す鏡であり、人によって世界観が異なります。獣にとってては世界は獣の世界ですし、食べ物に飢えた餓鬼にとっては世界は食糧の貯蔵庫あるいは食料がない砂漠のように映るでしょうし、争いの連鎖の中にいる修羅は世界を闘争の連鎖だと見たり、はたまた、秩序をもたらす光の側だと思っている人は世界を二元性を持った分離した善と悪の世界として見るでしょう。そして、ワンネスの人は全てを統合する唯一の満ちた変わることのない意識が貫いて存在しているとして世界を見ます。
これらそれぞれの価値観および人生観があり、その意識状態に応じた世界を見て人は生活していると言えます。
▪️獣、受動的な存在
人間になる前の獣。人の心を持たない生き物。それは人間の思考の投射や保持というものをするため、人間の近くにいると人間が発した思考を受けて一時的に獣が人間と同じように感じたり思考っぽい感情を保持することがあります。それは自我意識の目覚めの前の段階であり、意識がとても弱い状態で獣は生きていると言えます。それゆえにこの状態では「自我」が存在しません。その獣は人間の思考のオーラを反映しますから、近くに暴力的な人がいれば獣は暴力的になり、穏やかな人の近くにいればその人の心を反映して獣も大人しくなります。そのように、この段階においては自我が存在せず、周囲のオーラに影響されて生きていると言えます。また、その影響範囲は動物の種類によっても異なりますが概ねその感受能力は弱いことが多いです。人間の近くにいることで人間の思考や感情を学び、やがては自我を持った生物に生まれ変わることがあります。
▪️自我を持った獣 = 初歩的な人間
獣の魂が成長し、初歩的な人間になります・・・ というと語弊がありますが、そのような人はこの地球上にはそれほど多く存在していないように思えます。いわゆる知恵遅れや知能指数が著しく低い人がこれに相当します。認知能力に欠けており、思考や行動に一貫性がなく、正常な思考をすることができません。
▪️自我が拡大した傲慢な人間
初歩的な人間が安定し、思考するようになると自我が生まれます。それにより「自分」という認識が生まれ、所有欲も生まれます。あらゆる欲望がそこから派生的に発生します。
▪️「すべきこと」と「すべきではないこと」を認知する人間、二元論の人
それは道徳のようなもので、世界はこうあるべしという秩序を生み出します。その秩序に沿うことを時に「善」と言い、沿わないことを「悪」と呼ぶこともあります。それは二元性の世界です。自身が正しいと認識したことに対しては正しくて善であり光であり、そうでないものは間違っていて悪であり闇であると認識します。その認知を正当化するために様々な理屈を生み出しますが、そのいずれもが二元論の立場に留まっています。この段階では「全てが一つ」というワンネスのことは理解できません。世界の3大原則(あるいは二大原則)である創造・維持・破壊(あるいは創造と破壊、創造と維持、維持と破壊など)のうちいずれかを重視し、他を軽視あるいは敵視します。例えば「維持」のみが「善」であるとみなして「破壊」を「悪」とみなします。いずれかの原理に傾倒し、他を軽視あるいは良くないものとして排除する傾向があります。悪を打ち滅ぼすための善の戦いは正当化されると信じています。未だ自我(エゴ)を克服できていません(何故ならワンネスに達していないからです)。善の側を拡大することが愛だと思っています(この段階の愛ではあるが究極の愛ではない)。未だ傲慢なところがあります。
▪️ワンネスの人、二元論を克服した人
全ての人に共通した意識が存在していることを理解および認識しています。世界の有り様とは創造・破壊・維持の連鎖であり細かく見れば見るほど「変わらないものはない」ことである「無常」を理解しています。善と悪というような二元論の立場を取りません。理解が重要であることを知っています。悪を滅ぼすための善の戦いというようなものに同意しません。全ての存在はワンネスたる大元の存在・意識が「知る」ために分かれたものであることを知っています。この宇宙に何も無駄なものはないことを知っています。究極の宇宙の一元としてのワンネスには未だ遠く及ばないことを理解しています。それでも、ある程度のワンネスを得ることでその理屈が階層的に宇宙のワンネスへと繋がっていることを知っています。
このように、それぞれの段階があります。そして、講師とは、それぞれの存在の少し先の段階にいる人のことなのです。
・獣の講師は、初歩的な人間あるいはそれ以上
・初歩的な人間(自我を持った獣)の講師は、自我が拡大した人間あるいはそれ以上
・自我が拡大した傲慢な人間の講師は、二元論の人あるいはそれ以上
・二元論の人の講師はワンネスの人です
あまりにも離れていると言っていることが理解できずに成長に支障をきたします。講師とは言っても、講師の側も弟子や生徒から学ぶことがあるくらいの関係がちょうど良いということです。自分より少し上くらいの人が講師になるのが理想です。
とは言いましても難しいのが、自我が芽生え始めるとすぐに「自分は全てを知っている」という傲慢さに陥りがちなのです。よって、例えば二元論の人はワンネスを理解できないどころか「ワンネスなど存在しない」と言ったり「敵を滅ぼすのは正当化される」というように自分の考えに固執します。それが自称ライトワーカーのようなスピリチュアルを多少はかじったような人であっても同様で、勉強することで更に自分の考えを強固にして「善のための悪への戦いは必要、悪は滅ぼさなければならない」と信じていたします。
この辺りは、階層を上がってみないとわからないことがあるのです。例えばワンネスは実際に自分がワンネスになってみないとワンネスのことを理解できません。一応は理屈で色々と説明ではできますが、直感は知識よりも偉大なわけで、知識を得たところで更に直感でそれを裏付けなければその知識は本物にはならないわけです。
理想的には次の段階の人が講師になるべきではあるのですが、実際には、同じ階層内で先に学んだ人を講師としていて同じ階層の知識を深め合ってそれで満足している場合が多いように思います。であれば、二元論の人が同じ二元論の先達者から学んだとしてもワンネスに辿り着かないのも納得と言えるものです。
この辺り、むしろ「自分が理解できない」ことを教えている人から学び、その内容を鵜呑みにするのではなくそれが正しいかどうか自分で検証する立場がそれぞれの個人に必要のように思います。