以前に書きましたように、フランスの神と日本の神は違うのですが神界においては割と一緒に連携し合って活動しています。とは言うものの、一応はそれぞれの役割分担があって、フランスの神はフランス、日本の神は日本を管理しています。そこで言う神とはワンネスとしての統合された創造神としての神ではなくて、分化された個としての神ですので、完全性には程遠いのですがその神自身も学びを続けていて完全なものへと近づくべく努力および学習しているわけです。
例えばフランスの神は自らの分霊をジャンヌ・ダルクとして降ろしたり、その他、各種の影響力をフランスを中心に及ぼしています。
一方、日本の神はというともっとドロドロとした次元から始まって神話で語り継がれるようなお話あるいは戦国時代の武将など、この日本の時代に継続的に影響力を及ぼしています。
それぞれの神々の管理する土地というものは緩やかに決まっているわけですが、かつてジャンヌがフランスを救ったように、その土地が脅かされる事態というのはあるわけです。ジャンヌがいなければフランスの土地はイングランドに取られてしまっていた可能性が高いわけですが、そうなると、フランスの土地への影響力が小さくなってしまうわけです。
神様は役割分担がありますからそうなったからといって人間の感覚のように何もかも失ってしまうわけでもなく、そうなったらそうなったで、今フランスと呼ばれている土地を担当したりはたまた別の土地を見たりもするのですが、それでも、その神様の影響力は削がれてしまうわけです。そういう意味では、人間の感覚からすると神様が国盗り合戦をしているかのように勘違いしてしまうかもしれませんが、あくまでもその価値基準とは良い時代を作れたかどうかであり、支配しているかどうかとう基準ではないのです。人間の側が勝手に争いを作ることで神様の影響力が及ばなくなることもありますが、そのような場合でも人間の側としては神様の名前を掲げていたりしますから、実際のところの神様の意識と人間の側の意識とが食い違っているのです。
例えば中東問題を挙げてみますとイスラエルにせよアラブにせよ神様の意図をよく理解せず自分の解釈をしているのですが、それでも、神様の意図に従って動いていると自分たちでは思い込んでいたりします。そして、その状況を端から見ている人が「悪魔のような存在を拝んで戦争を繰り返している」というように言いますが、それは誤解というものです。悪魔というよりも人間が勝手に解釈して想念形態を作り出し、その結果、アストラルな次元において想念形態が悪魔のような形態になって人々の憎しみの気持ちを体現あるいは時に一時的な物質化をすることもあります。ですがそうして実体化できるのは物質に近い次元のお話であって、神様とは関係がなく、人間の想念が固まることで悪魔のような想念形態を作り出すのです。それが時には悪魔と呼ばれたりイルミナティと呼ばれたりはたまたレプティリアンと呼ばれたりするわけです。ですが、それは勝手な印象で状況を見ているだけであり、ほとんどの場合は人間が作り出した想念形態によるものなのです。
そして、本当の神様の意図はそのような争っている人の耳には届きません。神様とは言ってもここで言っているのは地球を管理している多数の神々のことであり創造神ではないため完全ではなく、それ故に、うまくいかないこともあります。ですが、失敗することがあるとしても、意図としては良い世界を作ろうとしているのです。そこに大きな誤解があって、神様が争いを作ろうとしているのだと勘違いしている人が一定数いるのです。
確かにここでいう神様は完全ではないために、ある程度のエゴあるいは自尊心というものも存在します。とは言いましても、それはとても純粋なものなのです。「個」として存在している以上、そこに他者との分離が存在し、であればそこに「自分」という気持ちは多少は入り込むのは自然なことです。ですが、人間のエゴとは違い神様のエゴというのはお互いがお互いを認め合う前提でのエゴですから、そのエゴがお互いの理解やコミュニケーションの妨げになることは少ないのです。そのような神様が時代を俯瞰し、良い方向に導けるよう努力しています。
そうして、時に英雄と呼ばれる人が地上に降ろされます。その英雄は一時的に輝き、役目を終えたら去ることが多いです。ジャンヌダルクしかり、日本の有名な武将にしても役割を終えたら時代から去りました。このような人を悪魔の化身かのように語る人がいますが、それはまったくの誤解というものです。神様の努力を理解せず、上から目線で悪魔だとかイルミナティだとかレプティリアンだとか罵ったところで、そのような価値判断は誤解に基づいているために何も生まないわけです。
この世界は努力と行動、そして結果によって形作られます。理解という面においてはまず、どのようにこの世界が成り立っているのかを知ることが大切です。ですから、行動の前にまず理解がなくてはならない、そして、その理解で終わってしまってはならないのです。理解の面において悪魔だとか様々な理由で過去の英雄あるいは英雄になれなかった人の努力を踏みにじったとしたら、今の時代に人々が行動しないことによる結果は今の時代および未来の世代がそのように傍観したことによる結果を享受するのです。
神様が完全だという誤解を捨てさえすれば、神様と協調してこの時代を作るという意味がわかります。神様も学んでいるのです。神様が完全ではない点をあげつらっても何もなりません。神様の努力や失敗およびその激しさを罵ったとしたら、それは、この時代を生きて他人の足を引っ張っている人と何が変わるというのでしょうか。対象が違うだけで、大して変わらないと言えましょう。
何もスピリチュアルなことがわからずして他人の足を引っ張ることは無知なだけですからまだ大目に見ることができますが、スピリチュアルに対する多少の理解があるのにも関わらず他者の努力やその成功あるいは失敗をあげつらって罵っているとしたら、スピリチュアルという名の下に教祖になって自尊心を高めるというカルトを作っているに過ぎないわけです。スピリチュアルのことなど知らない無知な人が他人の足を引っ張るのは成長途中であるが故にまだ許容できますが、スピリチュアルを多少は勉強しておきながら他人の足を引っ張ってあげつらい、しかも、チャネリングやリーディングと称して証明も反証もできない状況で一方的に罵ることにどれだけの社会的意義があるでしょうか。そのようなスピリチュアルを語りつつ他人の足を引っ張って人々の行動を妨害するようなスピリチュアル教祖は過去にもいましたが、そのような人は死後に多くの守護霊あるいは霊団の人から強烈に?咤されてその罪を長らく恥じることになるでしょう。
確かに、本当に酷い過去の偉人というのはいますが、それを正しく解釈できているかどうかの審神者はなかなか難しいものです。その検証もせずに実は自分の低次の霊的情報を元にしているのにも関わらず自称ハイヤーセルフと称してあたかも正しいかのように解釈するのはスピリチュアル教祖自身がまさに悪魔に乗っ取られていると言っても良い状況でもあるのですが、なかなか判断が難しい状況かとは思いますし、他者のそのような行動は昨今数多く出てきていますので、いちいち指摘しても仕方がない状況であります。それよりも、自分の判断力をきちんと身につけることが重要かと思います。
実のところ、歴史上の人物の醜い行為というものは、当人の意図と本当の意図とは異なっていることが多々あるのです。多くの場合で基本は低次の自分であるロウアーセルフがいわゆるエゴ(ヴェーダでいうところのジーヴァ)が判断して現世の価値観で解釈するのですが、時に、不思議と異なった解釈をすることがあり、それは、あたかも自分で解釈や判断しているように見えて実は高次の存在から導かれている時があるのです。そして、その意図というのは、その行為自体が良いか悪いかとは無関係の時があるのです。例えば、一般的には誰かを傷つけたり邪魔をすることは悪いこととみなされますが、神様が、誰かの行動を阻止したり必ず失敗させるために他者を操ることがあります。それが歴史上の人物の酷い行為に相当することがあり、その本当の意図というものは神様あるいは事情を知る人にしかわからないのです。しかしながら世間のチャネラーやスピリチュアル教祖は表面的な要素だけを見て悪魔だとかイルミナティだとかレプティリアンだとか、人々に「わかりやすい」解釈を与えて知識欲を満足させようとします。
本当の神様あるいは守護霊であれば、そのようなトリビアを知ったとして当人の霊的な成長に結びつかないのであればその情報を教えることはしません。神様や守護霊が情報を与えるのは、本当に必要な情報だけなのです。
一方、自称チャネラーやスピリチュアル教祖はトリビアともいえる過去の偉人の出来事をチャネリングなどと称して降ろしているといいつつも実のところ低次の次元に横たわっている想念形態あるいは低次の次元のアカシックレコードとも言える真実ではない現実を本当のことだとして読み取っているに過ぎないのです。それは人々が当時そのように解釈しただとか、近くにいた人がそのように誤解しただとか、想念が記録として残っており、それを読んでいるに過ぎないことがほとんどなのです。
実際の神様の意図がある場合もあればない場合もあり、ない場合は人間の低次のエゴの観念のお話ですが、特に有名な偉人ですと神様の意図が時に関与してきて、そのような神様の意図というのは普通には読み取れないのです。
例えば、ジャンヌダルクが囚われた時に助けなかったシャルル7世は自分では意図せずしてジャンヌを助けないという選択をしました。これはまさに神様の意図が反映された結果であり、ジャンヌは早死にするべくしてそうなったのです。しかし一般的にはシャルル7世はあれやこれやと言われていますが、本当のところは神様の意図が反映されたからなのです。このような情報はそれなりにその筋の人(霊、スピリット)に聞かないとわからないことです。
ただ、それを知ったところで、大抵の人にはトリビアにしかなりませんから、守護霊などがそのことを知っていたとしても人々の霊的成長に役立たないのだとしたらわざわざ教えることはないのです。
神様とは言っても、実は、神界にいるのは人間くさい神様であるわけです。ですから間違いも犯しますし失敗もします。でも神様なわけです。
そして、そのような神様たちが日本を守っています。八百万の神と言いますが、大勢の神様がいるわけです。そのような多種多様な神様の一つ一つを取り上げて、その行動や意図をあげつらっても何も意味がないと言えます。それよりは、神様と協調してよりよい世界を作り上げることができるよう努力することです。
日本の神様にはその役割分担があり、基本的には外国の神様は関与できません。しかしながら、かつて400年前にあの世をさまよっていたジャンヌの魂の3分の1が日本の神様に依頼されたことによりフランスの神と日本の神との連携が生まれました。通常であればフランスの神は役割分担が違いますので日本には関わることができないのですが、日本の神様から依頼されたことで関与する許可が日本の方から出たのです。それが、ちょうど今の時期くらいまでは有効になっています。あと100年もしますとその時代のことが記憶から薄くなり、それに応じて影響力の行使がしにくくなりますが、当時のことが今の時代までカルマの流れとして未だ継続しているのです。
フランスで火あぶりに苦しんだジャンヌの下層の3分の1が日本の神様に依頼された上で日本にやってきて、悲しみと辛さの想念と共にとある武将になり、激しい気性と共に悪魔かのように思われたこともありました。
はたまた、中国の皇帝だった魂が人間を学ぶために日本の武士として転生したこともあります。
このように、世界は神様の世界ではお互いに交流しているのです。
その流れで、今後、日本から中東に関与する流れが生じる可能性があります。それはまだ可能性に過ぎませんが、フランスから来たジャンヌが日本で過ごし、そして、元々キリスト教の流れを組んだジャンヌの意思を継いだ者が中東の平和を作るために日本人としてそして元キリスト教徒として活動する可能性があるわけです。
そういう点も含めて、割と人間くさい神様が地球を管理していて、世界を良くしようと努力しています。そこに悪魔だとかイルミナティだとかレプティリアンだとか、そういうお話はほとんど出てこないのが現状です。実のところ、そのような観念というのは人間の側が作り出した想像に過ぎないことがほとんどだからです。低次の次元で作り出した観念としての想念形態を読み取ってそのようなものが存在していると主張している人がいますが、確かに集合意識として人々がそれを意識すればそのようなものはアストラル次元に作られますが、それは想念形態に過ぎないといえばそうであり、しかしながら想念形態ができたということはその観念に従おうとする人も現れるため、そのような意味においては危険性があるものなのです。ですから、悪魔だとかイルミナティだとかレプティリアンだとか想像して陰謀論を盛り上げるほどそのような想念形態が出来上がり、人々にそのような観念が起きやすくなり、結果、現実としてその観念に従う人が出てきてしまうのです。現実として元々存在していたわけではないものが、想念形態が作られたことにより、その想念形態に従う人が出てきてしまうのです。これは危険なことです。
ですから、そのような陰謀論は時にはSFの世界で楽しく読めることもありますがそれはせいぜいムーの記事程度に留めておいて、ファンタジーはファンタージーとして楽しめば良く、一方、神様の意図というのは歴然と存在していて、それは、人々が幸せに暮らせる社会を作ろうと意図しているのです。
そして、神様は直接的には人間界で行動することができないため、時に神様自身が転生することもありますが、それ以外にも多くの人の協力を必要としています。そのような行動に力を貸すことことがこの世界をよりよくすることに繋がり、世界平和へと導かれてゆくのです。