ハートが増大して雑念やカルマを吸い込む力が強くなった

2025-03-02公開 (2025-02-19 記)
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

文字通り、吸い込むような感覚があるのです。それは最初は雑念かと思ったのですが、どうやら、体の各所に点在して染みついていたカルマを吸い取っているようなのです。そして、そのカルマあるいは雑念吸い取られた後は一段階清浄な状態になるのです。

ハートが増大すると、オーラが手先や足先まで浸透します。その感覚は日によって時間帯によってまちまちですが、安定度は上がってきたように思います。

瞑想の書物にあった表現でいえば「枯れ草が瞬時に燃え広がるよう」あるいは「太陽に照らされた水滴が瞬時に蒸発するかのよう」と言われるに相応しい状態のように思います。

その状態では、無想無念になることができます。時間軸を見てみれば雑念やカルマが出ては来るものの、それはハートに吸い込まれてしまうのです。そして、無念無想の状態が続いたり、はたまた、他の意識や想念のようなものを感じたり聞いたりすることもあります。神様の意思にも繋がりやすくなります。多様な他の存在の意識も感受しやすくなります。

そして、それは雑念あるいはカルマはたまた他の意識や神様の意思の感受としての側面がある一方で、その雑念あるいはカルマがなくなっても「私」としての存在がしっかりとそこにあることを体感します。無念無想の時間が長く続くほど、その「私」への体感が深まります。無想無念でいることでその奥底に「意識」が横たわっていることをはっきりと感じます。「私」とは、その横たわっている「意識」そのものだ、ということを体感することができます。ここで「私」というものに対する確信を得ることができます。昔から聖典で言われてきた「私」というものに対する解釈の理解および感覚が揺るぎないものになります。

「私」とは「意識」です。それは思考(ヨーガでいうチッタ)のように現れて消えるものではなく、満ちていて変わることがない意識の方です。その意識がハートに宿っていることを体感します。それはヨーガでいうところのブッディ(認知、知性、覚)ともいえますが、その本質はアートマンです。人間としての意識に現れた認知としてのブッディで、その本質はアートマンであり、人間としての意識はプルシャ(輝く者、アートマンとも類似、サンキャ的用語)とも表現されます。

その意識がハートに存在し、(まだ自分の周囲のわずかな範囲ではありますが)自分の周囲のカルマや雑念を吸い込み始めたわけです。

思えば、この同様のハートの意識自体は2021年1月頃から出てきて、当時は「創造・破壊・維持の意識」と表現していたように思います。今から思えば、当時はそう思えるくらいカルマや雑念が多く深く残っていたということかと思います。その時点から、意識が深まるにつれ意識の奥に眠っていた様々な感情や過去の回想を感情を再体験するような時を経て、今は落ち着いて、単純にカルマや雑念を吸い込んでいることを感じるのです。そこに多少の感情的起伏もあるにはありますが、今は基本的には平穏な意識の中でそれは起こっているわけです。

それは、意識の増大あるいは拡大の前触れであるようにも思います。ハートの意識が多少拡大して、まだ自分の周囲少しの範囲ではありますが、その自分の周囲のオーラのフィールドが少し強くなったように思います。強くなったとはいえまだまだ弱い面があり成長が必要なものの、少し前と比べては強くなったことを感じるわけです。