以前にも書いた内容と被りますけど最近はこの種のお話をしていませんでしたから、改めて少しタイムラインについて明らかにしておきましょう。
パラレルワールド等と一般に言われていますが、それは確かにこの三次元の直線的な世界観で見たらパラレルワールドとして認識できなくもない平行正解は存在しています。しかしそれは一般的に思われているようなパラレルワールドとは異なるものです。
簡単にするために、パラレルワールドとか抜きにして、普通のこの時間軸において、過去と未来の選択とその結果を見ていきましょう。何か挑戦や選択をしたとして、何かの結果を得ます。その結果を見た後に、もう一度、同じことに挑戦するかもしれません。その時は条件や環境がほとんど同じかもしれませんし微妙に違うかもしれませんが、とにかく挑戦し直して、今度はよりよい結果あるいはもっとうまく行かないことだってあるかもしれないわけです。それは一般的な普通のお話ではありますけど、次元が上がった場合、時間軸のそれ自体が同じような扱いになるのです。と、言うのは、どういうことでしょうかもう少し細かく見ていきます。
普通の時間軸においては過去から未来という一方向の時間の流れが固定化しています。それはこの世界がそのような時間軸で動いているからで、普通はその時間軸の流れに逆らうことはできません。それは至って普通のことだからです。
一方、次元が上がると、時間軸および空間というものから自由になります。それは「意識」がそうである、ということですが、意識においては究極的には完全に時間軸および空間からは自由であり、そうは言いましても次元あるいは階層というものは段階的にできていますから肉体に近い次元においては完全に自由になるということはなくてある程度の束縛を受けた状態において意識がそれなりに自由なわけです。
そのように、意識というものは時間および空間から自由であるが故に、普通の時間軸において肉体を持って何かをやり直す、ということが、意識においては時間を遡ってやり直すことができるのです。これがパラレルワールドの正体です。
実のところ、ほんとうにパラレルワールドがあるわけではなく、かつて行われた記憶、それがパラレルワールドとして第一に存在しています。その他にもこれから行われる計画としてのパラレルワールドも存在していますが、過去に実際に思考および意識として存在して実際に形作られたパラレルワールドは割と確かな形を残しているのに対し、計画としてのパラレルワールドはぼんやりとしていて掴み所がなかったりします。そうは言いましてもある程度まで確定している未来というものはあるもので、それはそれなりにはっきり見えたりします。
一般にパラレルワールドというと過去も未来も現在も含めて平行に並んでいる時間軸という解釈をしますけど、実際はもっと直線的なものが幾つも走っていて、この物理次元に現象化してくるのは明確に「意識」が「選択」をしたものが降りてくるのです。
意識がまずあって、それから物理次元が作られます。いつもこの順番です。逆のフィードバックもありますけど、現実世界が作られる前に意識がまず動きます。意識はそれ自体で存在できますけど物理的世界や存在は「創造されたもの」であり、意識がその現実や物理的世界を作り出すのです。ネバーエンディングストリーで言われたように思考がこの世界を作り出すというのは真実で、そのように、パラレルワールドの一つ一つは過去において意識が選択を繰り返した結果であり、それは過去という枠組みの中で意識がかつて懸命に思考して行動したことにより作られた記憶なのです。
意識というものは時空から離れて自由でありますから、かつての選択を元によりよい選択を繰り返してこれからの未来を作り出します。それはこの三次元世界においては過去未来に行くことができないのですがそれはあくまでも肉体および物理的な次元に存在しているからであり、意識というものは時空を超えることができ、そうすることで、物事をやり直したりすることができるのです。それは全て意識の力です。
ですから、実は、世界が一瞬にしてなくなって他の時間軸から別のタイムラインとして再開する、というようなことも起こります。かつてそのようなことが起こってきました。とあるタイムラインに見切りをつけた「意識」(の集合体)がとあるタイムラインをいわば凍結状態にし、別のところからやり直したりするのです。それは凍結状態にわざわざするのではなくて、集合意識がそのタイムラインに興味を失った、そのタイムラインを破棄したあるいはもしかしたら再開する可能性も含めて凍結状態にした、ということなのです。そうして一つのタイムラインは止まり、他のタイムラインが動き出します。そのような場合は大抵は少し前の時間軸に戻ってからよりよい選択をし直す、ということが行われます。経験は蓄積され、その記憶と学びを使って、もう一度、経験し直すのです。選択も新たにし直すことができ、それにより学ぶことができ、よりよい世界を作り出すことができるのです。
そのタイムラインの選択は集合意識によって行われ、よって、たまにスピリチュアルであるように自分の人生を良くするだとかそのような個人的な利益のためにはほとんど動くことがないのです。集合意識が全体としてそのタイムラインを破棄する場合はその選択に皆が従い、特に個人的に不満がなかったとしてもそのタイムラインから皆の意識が離れるのです。そういう意味では、集合意識がまるで神の意識かのように働き、それに翻弄されると受け止める人もおられるかもしれません。確かに個人的な意図と集合意識は相容れないことがあり、地球や文明を消滅させるような集合意識の選択と個人的な利益とは相反するものになる可能性があります。どちらにせよ個人的な考えはそこでは重要視されず、集合意識としての意識がタイムラインを作り出していくわけです。
そのように、タイムラインの変更というものは集合意識で行われているが故に、スピリチュアルで言われているように「タイムラインをジャンプして他のタイムラインに移動する」ということはほとんど起こりません。一応は別のタイムラインというものももう少し高い次元を介して存在はしているようで、そういうジャンプが可能かと言われたら、存在は確かにしているし原理的には可能ではあっても、そのようなジャンプがどれだけ意味があるものなのか疑問ですし、タイムラインのジャンプは単なるマンガやドラマの世界のお話だと思ってムーのように楽しむくらいが良いのではないかと思います。それよりも現実はというと集合意識が何度も世界をやり直して学びを繰り返しているということを理解して、そうであれば今ある自分の環境で最大限の学びを続ける、繰り返すことこそが社会への貢献であるといえます。他のタイムラインにジャンプしてよりよい楽な人生を過ごすということは現実には起こらないですし、そのようなことが起こると宣伝してセミナーや本を売っているスピリチュアルな詐欺師に騙されて高額セミナーにお金を払うのはとても愚かなお話であります。
それがタイムラインの基本でありますから、タイムラインの記憶らしき物が誰しも少しはあるものです。その記憶は過去の試行錯誤の結果としての記憶ではあるのですが、実際、割と多くの人が「未来の出来事」であると思い違いをしていたりするのです。とは言いましても特段に理由がない限りは割と同じ現象が起きたりしますから、ある程度は正しいとも言えます。ですから、何か将来に起こるような記憶があったとしても実際には起こらない、ということがよく発生するのです。特に人間の将来というのは努力によって成り立っていますから、努力をした過去のタイムラインと比べると「もうそれが実現できる」と予感がして怠けてしまったタイムラインとでは結果に違いがでるのも当然であると言えます。
特に重要な出来事に対しては失敗したら集合意識が働きかけてやり直す、ということが行われます。ですから、そのような重大イベントに関しては予想もなされますし成功するまで根気強くやり直すこともあります。ですが些細な出来事であれば失敗したとしてもそのままスルーし、それがこの三次元の現実世界で単純にやり直すことができるものであればそうすることでカバーし、わざわざタイムラインをやり直すということはしないのです。
そのように、過去の記憶、という一面がある一方で、未来のひな形という面もあります。意識というのはひな形でありますから、その曖昧な意識がやがて現実化するのです。最初はぼんやりとしたものであっても、それを選択することによって現実化します。とは言いましても未来のお話はタイムラインほどはっきりしたものにはならず、やはり、基本的には過去に(時に何度か)試したタイムラインの記憶を見ていることがほとんどであるように思います。
実際、この世界は何度も何度もやり直しが行われており、特にこの時代においては世界が破滅するタイムラインまで辿り着いた後にその度にやり直している関係上、タイムラインが他の時代よりも残りやすいように思うのです.そうして数多く作られたタイムラインを霊感で感知できる人がいて未来予知など多くがなされていますが、それはあくまでも過去のタイムラインの出来事がほとんどでありますから、そのようなものは流動的で、そこまで当たらないのです。天変地異などは割と微妙な動きで変化し、特に岩盤の動きなどはいつそれがトリガーされて地震になるかなど細かな要因が多すぎて、そこまで同じにはならないのです。人為的なものであれば別ですが、自然は割と毎回異なる気の流れが流転しているように思います。おそらくはその気の流れは意識の流れでもありそれは時空を超えているが故に、大地の気の流れというものがそもそも時空を超えて続いていて、よって、気の流れが違うが故に天変地異も異なる、ということではないかと思うのです。
そのように、天変地異においてもそこまで予想が当たるわけではないとはいえ、ある程度まで固定化されたイベントというものもあるにはあるものです。それを除けば、天変地異はそこまで予想できるものではないわけです。
そのように、タイムラインの基本は「意識」としての「やり直し」であり、人がタイムラインを認知するのは「記憶」であるわけです。予想しているわけではなく、過去の記憶を見ているのです。それはアカシックレコードということでもあります。
それはあくまでも記憶でありますから、これからの時代は自分たちの選択によっていかようにも作り直すことができるということです。アカシックレコードの通りに世界が動くということではなく、(人の)意識(集合意識)がやり直しを選択したということは、それによって成し遂げたい現実があるということです。何も不満がなければやり直しなど選択しません。課題があってよりよい世界にするためにやり直しをするわけです。であれば運命論者のように決まった未来があると思うのではなく、この世界においてあるべき姿を模索する姿勢が重要であるといえましょう。
更には、世界を混乱に陥れている人がいるとしたら、そのような行動によって世界が集合意識から見放されたらそのタイムラインは放棄され、やり直すことになりますから、そのような世界征服のような企みは長くは続かないのです。
タイムラインは集合意識が管理しているのが基本ではありますが、実のところ、この地球のことでいいますと管理者がいて、その大いなる意識が意思決定をしています。それは集合意識といえばそうなのですけど、明確な意思があって、偉大な存在です。その偉大な意識が良いと判断すればこのタイムラインは継続するし、もう駄目だと判断したらやり直しになるわけです。それが基本ですが、地球全体のやり直しではなくても、それなりの理由や大義名分があれば部分的にタイムラインをやり直すということも普通に行われます。それが意識の力です。それなりにスピリチュアルな成長をすればそれが可能になるわけですが、可能なレベルというのは既に自己の欲望からそれなりに解放された段階でありますので、よくスピリチュアルのなんとかの法則とかいって自分の望む現実を引き寄せたり作り出すというお話ではないのです。それよりも、正当にスピリチュアルな成長を成し遂げるために良い選択をし直す、ということが局所的に行われたりするわけです。基本は大きな枠組みで集合意識によるやり直しになるわけですが、それなりに意識の進んだ人が高次元で局所的にやり直しをする場合もあるわけで、それはというとよりよい人生にするために行われます。
さて、そのようにタイムラインが数多く作られ、やり直しも大きな範囲と小さな範囲でそれぞれ行われ、それぞれの過去のタイムラインが記憶として蓄積され、一般的にはそれがアカシックレコードとして認識されるわけです。
タイムラインとは紐のようなものだ、と時々説明されますが、それは三次元的な観点で時間軸を一直線のものとして過去現在未来として捉えているイメージかと思いますが、実際のタイムラインは多次元で構成されているため、直線のお話ではなく、単純にこの多次元が丸ごと継続してもう一度、とある時間と(元の)空間からやり直す、というお話なのです。そのように理解すれば、タイムラインとはこの現在の時間軸における過去・現在・未来の概念を拡張したものに過ぎず、意識が時空を超えられるという前提の元、タイムラインもごく自然に見事に簡潔なものとして理解できるでしょう。そうでありますように(そう理解できますように)。