聖書で語られている救世主のお話ではありません。世界が救われるかどうか、それは予言で語られているのとは少し違った形になりそうです。予言で語られているのは宇宙の存在からの介入がなかった場合のとあるタイムラインのお話であり、予定調和的にそれがなされる可能性は確かにそれなりにあるようです。その場合、大災害が起きて政治が混乱し、世界大戦に似たようなものが起きて世の中が混乱するわけです。
一方、それを食い止めるために介入がなされ、タイムラインが強制的に書き換わる可能性があります。その場合でもある程度の災害が警告としてなされますが、黙示録で語られているような状況より遙かに良い結果になるでしょう。
とは言いましても、そのような介入をしてしまったら地球の人々が自分たちの行動や思考の有り様について学ぶことができなくなるため、たとえそのような事が起きるとしても介入せずほおっておいた方が良いのではないか、というお話もあります。実際、どうしようか、ということで神様たちの間で長々と話し合いが行われてきていたのです。そしてその結論も大体でて、そのアプローチも決まりつつあります。あとは人間の側がそれを実現してくれるかどうかです。
実のところ、この宇宙には一定の暗黙のルールのようなものがあって、文明の非介入というのは宇宙のどこでも基本的には守られており、未熟な文明だけが他の文明にちょっかいやお節介をかいたりして混乱を引き起こしています。ですから大人な宇宙人たちは基本的に示唆はするものの直接的には介入してこないのです。それはというと、大人が指示をしてしまうと何も考えない指示待ちの従順な子供が育ってしまうようなものであるからであり、それはこの地球における子育てを見ればわかるように、大人がことこまかに指示して大人の良いように育ったところで自分で何も考えられない何も選択できないような成人が作られてしまい、精神が奴隷のような、あるいは植物人間と言って良いような生気のない生き物に育ってしまうからです。
かつてはそのようなことも行われてきたようですが、色々な反省があり、介入はしない、地球人の自由意志により精神的・スピリチュアル的な成長がなされるべきだ、という共通認識が今はあります。
よって基本的には非介入なわけですが、時に、その建前を守りつつも無知なまま介入してうまく導く、ということが公然と行われており、それはギリギリ許容されているのです。この地球に生まれるということは物理的な世界の制約を受けて生まれる前のことを忘れてしまいがちですが、それこそが、宇宙からの直接的な介入をなくすための前提条件になっているのです。地球人として生まれたかのように見えて実は宇宙の魂という人は大勢いますが、その大抵は地球の社会の仕組みに飲み込まれて自己や団体の利益の追求のために熱心になりその一生を終えます。そのような状況の中で、無知のまま、ほぼ偶然とも言って良い確率でそのくびきから解き放たれ、社会を良い方向に動かそうとする人が現れるのです。それは宇宙からの直接的な介入ではないため許容されるのです。間接的というとまた違うのですが、そもそも宇宙からの魂が、自分が宇宙から来たということを「忘れて」いる時には何をしようともそれは介入ではないので許容されるのです。ここに、世界が救われる鍵があるように思うのです。宇宙から来た魂が地球に転生し、直接的に宇宙の指示に従って介入をした場合は宇宙の「非干渉の法則」に反してしまいます。一方、地球人だと思って行動していつつも実は宇宙の指示に即して行動している場合はそれは許容されるのです。それは地球のカルマにのっとって行動しているからであり、地球のカルマを解消しつつも宇宙の意思を反映できるのです。
たとえば有名人でいいますとイーロンのような人は宇宙から来たとかスピリチュアルな業界では噂されていますがその可能性があって、自覚しているかどうかに関わらず地球のカルマに乗っ取って行動しているわけです。その上で宇宙からの意思をある程度まで反映しています。そのように、宇宙から来たことを忘れるかあるいはなんとなくそうかもしれないと思いつつも基本的には地球人として行動している時には宇宙からの干渉とはみなされずその行動は肯定されるのです。
そのような意味において宇宙の非干渉の法則には例外があって、その惑星に転生して生まれた人はその法則の対象外になるわけです。しなしながら、そうだからと言って宇宙の記憶を保持したまま好き勝手やっていいというわけではなく、その惑星に生まれることによってその惑星のカルマを生きることになるため、カルマの融合としての関与は許されるわけです。それは干渉と言いつつも、実際のところ、カルマの融合のようなものでもあり、一旦関わったならばその惑星のカルマにある程度まで引きずられます。よって、その後はしばらく関与し続けるカルマが生じるわけで、そこまで含めて継続的に関与する必要と覚悟があってようやく関わることであり、そうでないならば非干渉の原則が守られるのです。
地球を救う人というのは、その魂が宇宙由来であるように思います。ですから、自身が救世主になってしまうと宇宙からの干渉になってしまうため、地球の時代を動かすために干渉こそすれども、自分が表には出ないのです。例えば過去においては日本の有名な武将Oはある程度まで時代を動かした後に身を引いて本来の日本の武将Tに引き継いだりしました。はたまた、ジャンヌダルクは時代を動かした後はすぐに身を引いたわけです。そのように、宇宙からの干渉というのは直接的ではなく地球に生まれた魂が一時的に干渉に近しいことをして、その後は地球の人の意思に任せるのです。それは上に書きましたように、宇宙由来あるいは天界由来の魂であるということを忘れて地球人として生まれた上で内実は宇宙あるいは神様の意思に従って干渉する、ということです。
今回も、それと同じようになると思われます。このままでは政治も宗教も分断して聖書の黙示録に書かれたようなアルマゲドンの時代が来る可能性があります。それを防ぐために様々な団体が色々なことを言って行動したりしていますが、この世の中は結局は昔と変わっておらず支配者が決めているのであり、その支配者あるいは王に近い人たちを説得することでこの世の中は変わるのです。この現代は民主主義とか言ってあたかも人々が支配しているかのような幻想が広まっていますがそうではなく、王のような存在が支配し続けているのは昔から変わらないのです。その権限と権威が表に出てこないだけで、人々の目を首相や大統領に向けさせているだけで、本当のところは昔から変わっていないのです。それは悪いことではなく、この今の世の中をまわしているのはそのような人たち、という事実があるように思うのです。これには異論があるかもしれませんが、そうでなければ地球が救われる余地がありません。本当に民主主義だとしたら地球の全人口の約半数が平和や他者への思いやりをもって分かち合いを目指す必要がありますが、大抵の人は自分の利益や自己を守ることに熱心で、他者のことより自分が大切で自身に利益があることしか興味がないのが現実ではないでしょうか。そうであればよりよい社会のことなど民主主義で考えることはできず、世界は平和にはならないわけです。
人や団体によっては「民衆の深層心理を書き換えて平和な気持ちに置き換える」みたいなスピリチュアルなアプローチを取っている人もいますが、これもまた、人の自由意志を奪う行為でありますので宇宙の法則に反していますのでこのような行為あるいは魔術的な施策に対しては反作用が起きて、最初は大人しく平和になったかのように見えても、ある時に突然、溜まっていたものが吹き出してきて大きな人生あるいは戦争が巻き起こされることになります。それよりは小さな争いが時間をかけて起きてその小さな紛争をひとつずつ解決していく方が長期的にはよほど良いのですが、目の前の小さな問題を大げさに取り上げて潰したところで、それは本当の問題を見えなくしているということであり、見えなくなった問題は溜まりますから、そのように、目の前の問題を解決して平和になったと自己満足しているような人たちのところには溜まった大きな厄災が一気に押し寄せてくるわけです。よって、そのように、目の前の問題を解決して満足するような行為も世界の平和には導かないのです。
それよりは、この社会をまわしている本当の王や権力者たちに働きかけて、よりよい社会を提案し、それを受け入れさせることの方がよほど効果があります。そのためにはもちろん提案の内容もそれなりに納得のいくものでないといけず、納得させるにはそれなりの実力もないと話をする前提には立てないわけです。
はたまた、一つのルールや基本則に従って世界の仕組みを変える、という動きもうまくはいきません。それは時代を遡って最初からそうするのであればうまく行く可能性はそれなりにありますが、既に各自がそれぞれの考え方やルールに従って動いている状況において別の共通ルールを当てはめようとしてもそれはうまくいかないのです。そのような押しつけは強力な上からの権力によって思想およびルールが統一される必要があって、そのような統一した考え方が世界に蔓延することはなく、むしろ混乱を助長して世界が分断するのです。このような考えに従って世界統一宗教のようなものが考え出され、その実現のために行動する人が現れますが、そのようにルールや思想を統一するというアプローチはうまくいかないのです。
そのように、統一するというアプローチではなく、違いを受け入れた上で、納得できる人だけが行動する、リーダーの指示に従うかどうかは個々の自由意志に任されている、従わなくても罰則はない、という枠組みが提案されます。現代の垂直型の社会においてはこのような考え方を受け入れるのは難しいですが、リーダーという考え方も少し変わったものになります。まず、リーダーは「言葉」を重視するようになります。「言葉」とは聖書でいうところの「最初の光」あるいは「最初の声」であり、その「言葉」というものは絶対的なものです。リーダーが発した言葉は、いわば「神との約束」なわけです。それは選挙における公約あるいはマニフェストはたまた条文のようなものであり、リーダーは「これをします」と言葉にすることで神の宣言として、それに納得して従う人や団体あるいは国が協力する、という枠組みにするのです。そうすることでリーダーは言葉(=約束)を守る誠実な人ということになり、言葉とは神の意志でありますから、その言葉(=約束)を守らないリーダーはリーダーの座から降ろされるかそれに従わなくても罰則はないのです。このような基本的な枠組みに沿ってまずはエルサレムのとある宗教の人たちのその説明がなされるでしょう。
宇宙からの介入はこのような視点を持って、直接的ではなく、間接的に行われます。きっとそうなるでしょう。一時的な介入ではありますがその前準備はあって、それなりの環境の整備や修行のようなものがそれなりに行われ、地球を宗教的に支配している人たちの一団に接触し、まずは納得してもらいます。そして最初はおそらくエルサレムがその舞台となり3つの宗教の融和が実現し、その時に用いられた約束あるいは法律のようなものがひな形となって世界政府が作られる流れになるのが平和への道筋としてシナリオが描かれているのです。それは地球に生まれた者たちが自分たちの意思で自分たちの行動を持って実現しなくてはならないものであり、そのために一時的に介入がなされてあるべき姿の提言はなされますが、実際にそれを実現するのは地球の人なのです。そうでなければなりません。宇宙から地球を支配するという構造になってしまうことがないよう気をつけるべきで、宇宙からの支配をするというのは宇宙の非干渉の法則にも反しており、何より地球の人たちが自ら学びを深めるということを阻害してしまいます。地球の人たちが学ぶことにより地球が平和になる、ということが基本路線であって、それ以外の選択肢はないのです。そのために一時的に介入がなされますが、その程度のお話なのです。
この地球という惑星は地球人たちのもので、その魂はたしかに宇宙からやってきていてオリオン大戦などのカルマを引き継いではいますが、基本的には惑星というものは宇宙の非干渉の法則に従って動いており、どの人たちもそのルールに従っている以上、宇宙からのこの種の干渉においてもそのルールに則って行われるわけです。