以前記しましたように、1回目は2018年1月にムーラダーラに電気ショックが走ってアジナ・チャクラで爆発のようなものが起きてエネルギーが抜けました。私はこれを「まどろみ型クンダリーニ」かと思っていたのですが、第2回目を体験してみると、この第1回目はクンダリーニとはとても呼べる代物ではなく、単に、今までふさがっていたナディ(エネルギーの通り道)の蓋、あるいはチャクラにかかっていた蓋に圧力のようなものがかかってポンと外れたという程度の簡略的なものだったことを理解しました。2回目と全然別物ですね。
それまでの出来事を簡単に時系列で記しておきます。
- 2015年1月 インドのアシュラムで生まれて初めてのヨガ 2週間 合宿。その後しばらくブランク。
- 2016年10月 日本の近所でヨガ再開。1週間ごと1回90分
- 2017年8月 ヨガの頻度を上げ、ほぼ毎日90分
- 2017年10月 雑念が減ってくる。ようやくヨガをしている感じになってくる。ヘッドスタンドが短時間だがようやくできるようになる。
- 2017年11月 ナーダ音が聞こえ始める。ヨガをほぼ毎日し始めてから約3ヶ月後
- 2018年1月 第1回目のクンダリーニ体験。ムーラダーラの電気ショックと眉間の皮膚から数センチ離れた空中(アジナ・チャクラ?)でのエネルギーの爆発。ほんの少しのエネルギー。
- 2018年11月 第2回目のクンダリーニ体験。クンダリーニ本体はまだ上がっていない。2つの光の筋が上がっただけ。
面白い体験だったなあと思って再度寝たのですが、その夜、約2時間後に急に腰あたりに2つの小さなエネルギーが発生し、左右それぞれ1本づつ光のエネルギーの光線が腰から目の上の頭蓋骨あたりに向けて2〜3秒かけて真っ直ぐ上昇し、頭蓋骨に当たってちょっと曲がったところで停止。そのまま10秒ほどエネルギーの筋はそのまま保っていたのですが、やがてエネルギーが消えてゆきました。細長い風船に空気が入って、空気が入るときは片方から膨らんでいくが、萎む時は全体が同時に萎む、というような感じの動きでした。
クンダリーニはスシュムナから登るという知識があったので、スシュムナではなくその両脇から2つの筋が真っ直ぐ登ったのが意外でした。イダとピンガラは螺旋状にスシュムナの周りを回っているはずなので、真っ直ぐ登ったということは、それともまた違うナディなのでしょうか? それとも、やはり単なる夢だったのでしょうか? 頭の中にはエネルギーの感覚が少し残っていますが、今のところ、日常生活に変化はありません。
ゴーピ・クリシュナのようにクンダリーニ症候群になったら嫌だなあと思っていたのですが、数日経ってみても体調はいつも通りなので、とりあえず問題ないようです。彼の場合はピンガラで目覚めてイダを使っていなかったのが問題だったので、少なくとも左右対称に登っているという点は少しは安心していいのかなあ、と解釈しています。
クンダリーニの体験をしたところで、特に何が変わったわけでもないですが、強いて言えば、ちょっと元気になったかな? という程度のものです。最初に感じたマグマのようなものそれ自体が登ったわけではなく、ほんの小さな2つの光の筋が登っただけなので、エネルギー的にはほんのちょっとなのかもしれません。やがて、この本体が登ると更に変化があるのかもしれません。変化と言えば、前より体がポカポカするので、ちょっとだけ寒さに強くなったかな、という気はしますが元々の寒がりは完全には治りません。
ゴーピ・クリシュナの体験では「ゴー」という轟音が聞こえたとのことでしたが、私の場合はウトウト夢を見ていたような感じでしたので完全には覚えていませんが、意識が戻った時に聞こえていたのはそのようなゴーという轟音ではなく、いつも通りのピーという高周波のナーダ音でした。半分は寝ていたので曖昧ですが。
それと、クンダリーニ2回目の後は、性欲が極端に減ったような気がします。体の中のエネルギーのフォーカス・ポイントがハートから上に移ったような感覚があります。今までマニプラ・チャクラ(臍のあたりのソーラ・プレクサス・チャクラ)の感覚は私はほとんどなかったんですけど、そこに何かが存在しているような感覚になりました。体の各所でエネルギーの変化がありますね。全体的に元気になった感じがします。性欲は減っていますけど。元々最近はブランマチャリア(禁欲、ブラフマチャリア)を心がけていて、夢精もしないように気をつけていました。ですので元々性欲は減っていたのですが、更に減った感じです。
変化をまとめると
- 以前より元気になった。もともと元気がない方だったので、ようやく普通になったかも。
- 性欲が極端に減りました。性欲がより高いエネルギーに昇華された、ということ?
- 以前よりお腹と胸がちょっとだけポカポカしてます。寒さに強くなったのかと思いきや、薄着では普通に寒いので、そこまでではないようです。
- 背筋がちょっと固くなったかも?
- ネガティブが減った。
- 睡眠時間が減った。もともと寝すぎの8時間睡眠が10~20%減で6時間前後へ。
- 声が以前より出るようになった。
人はどんどんと変化できる、というのを毎年のように実感できて、人生面白いです。今の感覚は、子供の頃の意識状態と比べたら全然違いますし。もともと何年かおきに大きく自分を変えてきていますが、最近はそのペースが早まってきたかもしれません。
特にクンダリーニ・ヨーガの修行をしたわけでもなく、普通のヨガをしているだけですけどね。プラナヤーマはそれに含まれているので普段からしていますけど、そのくらいです。
■クンダリーニとアナーハタ音
ホーリー・マザー(サーラダー・デーヴィー )の発言 「クンダリニーが目覚める前に、人は、アナーハタ音を聞きます。」 についてですが、私はどれがアナーハタ音なのかはわかりませんが、もしかしたら既に聞こえているのかもしれません。この辺りは微妙なところです。
いくつか可能性があります。
- 既にアナーハタ音が聞こえている
- まだ聞こえていない? 聞こえていなくてもクンダリーニ経験はある? ゴーピ・クリシュナのように、おそらくはナーダ音が聞こえる前にクンダリーニ体験をする場合もあるような感じなので、この可能性もあります。
■超感覚の世界が存在しているという「しるし」
「Meditation and Mantra (Swami Vishnu-Devananda著)」には、ナーダ音が聞こえることによって超感覚の世界が存在しているという「しるし」を見つけることになり、確信が持てるようになると書いてある。音だけだと耳鳴りの可能性もあるので私の場合は100%信じられずにいたのだが、聖典に書かれてあるクンダリーニに近い体験をすることで、聖典に書かれてある超感覚の世界が実在することにより一層確証が持てるようになりました。
■クンダリーニは何回も上げる必要がある
「クンダリーニ・ヨーガ(成瀬 雅春著)」あるいはシバナンダ師の「Kundalini Yoga」によると、クンダリーニを上昇させて頭に保持できるようになるまで修行を続ける必要があるという。一回だけ上げて終わりというわけではないのですね。これはまたの機会に追記あるいは別途記したいと思います。
本当は信頼できる、クンダリーニの経験があるグルが近くにいればいいんですけど、そうそう見つかりませんね。
■求めない者に与えられる
子供の頃から「求めない者に与えられる」と言う言葉の謎解きをしてきました。
何故かこのキーワードが事あるごと心に浮かんでいだのですが、その確かな根拠が不明でした。
今思うにその根拠とは、「求めない者」の部分が無心の純化のしるしであるナーダ音が聞こえる人を指し、「与えられる」の部分がクンダリーニなのかな、と言う気がしてきました。
グルグルと探し求めた挙句、とてもシンプルな1つの結論に達した気がします。
2つの方向性があるような気がします。
- シバナンダ先生が仰るように、「リラックス」して「ピースな心」で純化することでナーダ音に至り、「自然に」クンダリーニに至る道。緩慢な道。力を抜く道。
- 特別な経験や体験を「求めて」熱烈な修行をする道。急激な道。純化をあまりせず、ナーダ音に至らずクンダリーニに至る道。修羅の道。力を入れる道。
私は前者でいきたいものです。でも、他者から見たらどちらも同じに見えるかもしれないですね。前者も体験が特別である点は変わりませんし、違うのはマインドの使い方のみかなとも思います。力を抜くという点がポイントになりそうです。力技でクンダリーニを目覚めさせたとしても、純化ができていなければ苦しむわけですが、後者の人はその苦しみをも必要なものとして受け入れるのかもしれませんが、前者はそのような苦しみなしにすんなりと成長に至るわけです。おそらくは。
■ほとんどの時間は浄化に費やされる
「ハタ・ヨガ・プラディーピカ(Hatha Yoga Pradipika、Swami Vishnu-Devananda著)」には以下のような記述があります。
浄化することから始めなければならない。 残りは自動的に来ます。 実際、ほとんどの場合、私たちは浄化に時間を費やします。
それは1つの人生、10の人生、1000万の人生、あるいはわずか10秒かかるかもしれません。どれもあり得ます。
これはおそらく真実だと思います。ヨガや神秘行をして何も変化しない場合、ほとんどは浄化に原因があるようです。
であれば、チャクラがどうのこうの言ってもほとんどの人には実はまだ関係ないのだということがわかります。
2回目のクンダリーニ経験の後の至福状態は2週間ほどで大分元に戻ってしまいましたが、それでも、至福とエネルギーに満ちた状態を短期間であっても経験したのは大きいです。ポジティブになるということはあそこまで溢れ出るエネルギーに満ちていることであって、頭でどうこう考えたり思考をマントラとかで押さえ込むこととは全く別次元の状態であり、自分が全く別人になった感覚になりましたので、その状態を維持することが今後の課題ですね。日本で生活をしていると他のネガティブな人と接触したり食事が良くなかったり部屋の環境が良くなかったり、色々な原因で状態とエネルギー・レベルが下がっていってしまいます。ヨガの世界で言われているように、クンダリーニなどを扱う時にはアシュラムで泊まり込みして食事や生活習慣をきっちりとしないと崩れていってしまう可能性が高い、というのは、その通りなのかな、とも思います。幸いにして私の場合はクンダリーニ後に大変な思いをしていないので、このくらいのエネルギー低下で済んでいるのは、割と良い方なのかなという気もします。
■クンダリーニは必ずしもスシュムナから上げる必要はない?
ピンガラからクンダリーニを上げるとクンダリーニ症候群になる、と上で書いたのですが、Swami Satyananda Saraswati著の「Kundalini Tantra」には、「スシュムナからクンダリーニを上げるのが通例のようになっているけれども」、という前置きの後に「古典には必ずしもスシュムナから上げる必要がないと書いてある」とありました。ピンガラから上げた場合は外的に働きかけるシッディ(パワー)を得て、イダから上げた場合は未来を見通す力を得て、スシュムナから上げた場合はジーヴァンムクタ(生きながらの解脱)を得る、と同書には書いてあります。おそらくは古典の目的が解脱であるためにスシュムナから上げる方法を記載してあるのだ、とSatyanandaは解説しています。イダとピンガラを目覚めさせるのに比べてスシュムナを目覚めさせるのは格段に難しく、特別なノウハウが必要になり、グルの助けあるいは神的な力の助けが必要になるとのことです。であれば、ピンガラのパワー系シッディである物体操作・破壊の力が使えるインドの聖者であるとか、イダの透視系シッディである千里眼や予知能力の力が使える西洋の魔女とかが必ずしも解脱していない、というのも納得できます。イダとピンガラが目覚めるのは早くてスシュムナが難しいのであれば解脱した人を見つけるのが難しいのも理解できます。インドの聖者の特徴として、インドは修行者に男性が多いためにピンガラが開花しやすく、よって物体操作系の話が多いのだと思います。一方、欧米の魔女は女性ですからイダが開花しやすく、よって、透視系の話が多いのも理解できます。もちろん両方あるいは逆の場合もあるでしょうが、多いのはこのパターンかと思います。
そして、解脱を目的にしている人たちは往々にしてシッディの力を持っているがそれを重要視せずにスシュムナによる解脱を目指しているのも理解できます。解脱が難しいからこそシッディに拘らずに修業をしているのですね。シッディ(力)が目的であればそれに迷わされてしまい、往々にして解脱に辿り着かなくなってしまうのでしょう。
私の場合、スシュムナが動いたような感覚はまだなくて、単に2本の光の筋が通っただけなので、解釈としてはイダとピンガラが通ったような気もするのですが、多くの書籍には「スシュムナが浄化されて初めてクンダリーニが目覚める」と書いてあるので、このあたりがよく分からなかったのです。「であれば、私のは何だったのだろうか?」と言う疑問がありました。Satyanandaの解説に基づけば、それも十分あり得ると解釈できます。とは言っても、現時点では上記に書いたように体力がついたり睡眠時間が減ったり意識が向上した以外は得に取り立てた変化もなくて普通に体力がついただけなのとそう変わらない感じなので、まだまだだ、という感じです。一回通っただけでは不十分でその後のメンテナンスが重要とも言いますしね。