瞑想とは心穏やかな状態で対象を観察すること

2019-11-29
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

見ようによっては、そのように瞑想を捉えることができそうです。流派によってはそのように言っていたりするようです。

単に物事を論理的に思考することとは違って、まず前提条件として心が穏やかになって心が鏡のように静かな状態になる必要があります。その上で、対象をその心の中にそっと置く(比喩表現)ことで、対象を様々な角度から眺めて深く理解することができるわけです。それが瞑想だ、という流派があるのも納得です。

ここで言う「心が穏やか」とは、ヨーガ・スートラで言うところの「心の作用の死滅」です。定義はいつしか引用していましたが、そのまま読むと「心を停止させて何も考えないようにして、何か意味があるのだろうか?」と思ってしまうかもしれませんが、ここで言っているのは心の「揺らぎ」を止めましょう、と言っているだけですので、より高次の観察能力的なものは死滅できません。

例えば、以下のような説明が神智学ではなされています。

想念の停止はより高い次元で働くための必要な予備行為である。(中略)パタンデヤリはヨーガをチッタ・ヴリティ・ニロドウハ chitta-vriti-nirodha であると定義したが、それはチッタ(精神)のヴリティ(渦)のニロドウハ(制限)という意味である。(中略)ヨーガとはメンタル体内におけるすべての波動と変化を抑制することである。「神智学大要3 メンタル体(アーサー・E. パウエル著)」

ヨーガ・スートラの言う状態を達成できたならば、外部の刺激によって心が揺れ動くことはなくなり、静かな水面のように静かで清々しい心が保たれることになります。

その静かな状態で、より上位の意識が「意図」を持って対象を選び、その対象の観察を行うのが瞑想だと言うわけです。

より高い意識とは神智学で言うところのコーザル体のブッディ(Buddhi, 覚, 理性)であり、下位であるメンタル体が静かな状態になるとコーザル体が出てきます。

ヨーガ・スートラのよくある誤解としてコーザル体のブッディ(Buddhi, 覚, 理性)を死滅させると思ってしまう方がいらっしゃいますが、そう言うことではないようです。死滅させるのはチッタ(Citta, 心)に現れる「想いの波」であるヴリッティ(Vrtti, 波)です。

チッタ(Citta, 心)のヴリッティ(Vrtti, 波)を死滅(停止)させた状態で対象を静かに観察して深く理解する、と言うのが瞑想だと言うのもこう言うことであれば納得です。