どの場合にどの階層のオーラ接触なのか解明はできておりませんが、何種類かオーラ接触の種類があるようです。
肉体が近づくときにオーラが接触します。オーラの接触はなるべく少ない方が良いので自分のオーラを自分の体の近くに密着させるように意図するのをお薦めしますが、多少は混じってしまいます。お互いにオーラが体の近くに密着していればさほど危険はなく、現代人はこのようにオーラを無意識に自分の体に密着させているような気がいたします。
一方で、オーラと言いますかエーテルコードとか呼ばれたりするオーラの糸が相手と繋がる場合がありますが、どうも、これは体の近くにあるオーラよりも凝縮した形態のような気がしてきました。
体の周囲にふわふわと広がっているオーラがそのまま伸びるというよりは、もっと体に近い根幹部分が意思の力で線のようになって伸びるのかな、と。
両方共オーラと言えばそうなのですが、ふわふわとしたオーラと線のようになっているオーラとは性質が異なります。
そもそも、あまり精神訓練を行っていない人のオーラとある程度の瞑想などをした人のオーラは異なっていて、それは精神訓練のみに限らず勉強だったり生活習慣にもよるのですが、精神的に安定している人ほどオーラの「分かれ目」がしっかりしていて、精神的に未熟なほどオーラの分かれ目がぼやけていてオーラが発散しているような気がいたします。
オーラを線のように伸ばすことができるのはある意味誰でもできますが、ある程度の精神訓練をしてオーラの分かれ目がくっきりしている人は明確なくっきりとした線を伸ばすことができますが、もともとのオーラがぼんやりしている人はぼやけた線というか太いぼやけた線のようなオーラしか伸ばすことができないわけです。
この線のようなオーラは、普通のオーラと同じかなと思っていたのですが、どうも、意志で動く部分はオーラの階層が違うのかな、という気がしてきました。なんとなくですけどね。
ヨーガとか神智学とかですと人間とオーラは複数階層に分かれていて、肉体に近い方から魂の根源に近い方まで階層が分かれています。オーラというと肉体以外のところ全てを指したりしますけど、肉体に近い部分のオーラが意志を反映できる気もしなくて、もっと根源の、例えば神智学で言うところのコーザル体(原因体)あるいはメンタル体みたいなところが意志で動いて、その周囲にアストラル体とかがくっついて動くのかな、という感じがしてきています。意志で動かすという意味ではコーザル体というよりメンタル体の方が感覚に近いかもしれません。
それとも、このような分類は名目的なもので、ヨーガでいうところの3種類しかない、というのが実態なのかもしれませんけど。
感覚で知覚できるのは、基本的には
・五感による肉体
・意志によるオーラ
この2つだけであり、その他には
・見る者
もいたりしますけど、見るものはオーラを含めて鳥瞰的に見ているだけです。
これらのうち、「意志によるオーラ」が最近、意志によって動く気がする部分と動かない部分があるような気がしておりまして、それがオーラの階層による違いなのか、あるいは、単にその部分のオーラが淀んでいて制御が効かない状態、いわゆるヨーガでいうナディ(エネルギーの通路)が詰まっている状態なのか、どちらなのだろうか、と気になっておりまして、どちらかというより、両方あり得るのかな、という気がしてきておりまして、であれば、オーラの階層があるのかな... という感じになってきております。これは瞑想中の微細な感覚の違いですので、実際は違う意味を帯びているかもしれません。
まあ、このあたりを探っていくのも興味深いといえばそうなのですが。