(同テーマ&時系列の次記事)バガヴァッド・ギーターの趣旨

バガヴァッド・ギーターは、読む本人だけでなく他人をも解放する


[ギータプレス版バガヴァッド・ギーター P4~5 独自訳]

ギーターはガンガーよりも優れています。 聖典では、解放(Liberation,解脱)はガンジス川(ガンガー)の沐浴の報酬であると宣言されています。 しかし、ガンガーに浸る彼は、自分で解放することはできますが、他の人を解放する力を身につけません。 しかし、ギーターに飛び込んだ彼は、自分自身を解放するだけでなく、他人を解放する力を得ます。 ガンガーは主の足から出てきましたが、ギーターは神の唇から直接出てきました。 繰り返しになりますが、ガンガは一人でそこに行き、水に飛び込んで自身を解放しますが、ギーターはすべての家への道を見つけ、すべての人に解放への道を示します。 これらが、ギーターがガンガーよりも優れていると宣言されている理由です。

ギーターはガヤトリ(マントラ)よりも優れています。 ガヤトリ(マントラ)のジャパの実践を通して、人は間違いなく解放を達成します。 しかし、ガヤトリ(マントラ)のジャパを実践する彼は、彼自身のためだけに解放(Liberation,解脱)を保証します。 一方、ギーターの学生は自分自身だけでなく他の人も解放します。 解放の分配者である神ご自身が自分のものになると、ムクティ(解脱)は彼にとってささいな出来事になります。 それは彼の足の埃に住みつきます。 彼は誰にでも、それを求めるすべての人にムクティ(解脱)の贈り物をします。

ギーターを神よりも大きいと宣言しても、誇張はありません。 主ご自身によると:श्रयेऽहंतिष्ठामिगीतामेचोत्तमंगृहम。 2ाज्ञानमुपाश्र्ितत्रील्लोकान्पालयाम्यहम्。 (バラハプラナ)「私はギーターに対する態度を明確にします。ギーターは私の最高の住まいです。ギーターに含まれる知恵の力で3つの世界を維持します。」

これとは別に、主はギーターの形に含まれる彼(主)の指示に従う者が間違いなく解放を達成することをギーター自体において公に宣言しています。それだけでなく、この聖典を研究する人も知恵を捧げることを通して彼(主)を崇拝するであろうと彼(主)は言います。ギーターを単に研究するだけでそのような価値が生まれるとしたら、その教えに従って自身の人生を形作って神の信者をその秘密に導きその教えを彼らの間で広め、広める人について私たちは何と言ったら良いでしょうか? 主はそのような人に言及して、その人が彼(主)を非常に大切に思うと言います。彼が彼(主)の人生そのものよりも神に親しみがあると言っても過言ではありません。主は自分自身(主)をそのような信者の意思に従属させます。高貴な魂の場合でさえ、彼ら(主)の教えに従う人々は彼ら自身の人生よりも彼らにとって大切になることがわかります。ギーターは主の神秘的な教えを構成します。それでは、これらの教えに従う人は、彼(主)の人生よりも彼(主)に寄り添うべきだと思いますか?

ギーターはまさに主の命の息、心、そして言葉によるイメージです。
ギーターに染み込んでいる心、言葉、身体、そしてすべての感覚とその機能を持っている人は、まさにギーターの具現化と言えます。彼の視力、感触、発言、思考、教訓と模範に従う者はもちろん他者に最高の尊厳を与えます。実際のところ、犠牲、慈善、緊縮、巡礼、宗教的誓約、自制、断食などは、ギーターとの比較になりません。 ギーターには、主バガヴァーン・クリシュナ の唇から直接発せられる言葉が含まれています。その編集者は、マハルシ・ヴィヤーサです。主は、彼(主)の談話の一部を詩節で語りました。編集者ヴィヤーサは、彼の唇から発せられたとおりにそれを記録しました。散文で発話された部分は編集者によって理解され、アルジュナ、サンジャヤ、ドゥルターラシュトラの言葉は彼自身の言葉で同様に理解され、700節の本を18の章に分け、彼はそれをマハーバーラータの有機的な一部にしました。これが、どのようにこの本が私たちのところにやってきたかという説明になります。


コメント:
代名詞(His)が「人」だったり「主」のことだったりして読みにくい部分があります。原文のHisのように大文字になっているところが「主」の意味かと思いきや、場所によってはそれで「人」の意味だったりしますので大文字になっているかどうかをヒントにして読み解くだけではなく意味を毎回チェックする必要があります。スピリチュアルな英語の文献ですとハイヤーセルフや主の意味でSelfのように大文字のSelfを使っていたりするので分かりやすいのですが、この文献は表記が必ずしも一致していないようです。



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