山にこもって修行する時代なんて終わったとよく耳にしますけど、終わったのはそう言っている人個人の都合や趣味であって、山にこもった方が良い方は沢山いらっしゃいます。
今は自由の時代ですから山から出ろなんて一律な話ではなくて、山にこもりたければこもればいいし、出たければ出ればいいんです。
思いっきり咀嚼して言えば、そんなのは趣味の問題です。好きにすればいいのです。
ドヤ顔で山から出る時代だとか言っている人を見ますと、ちょっと見解の狭さを感じます。見解の狭さはスピリチュアル初心者(本人はそうは思っていない)によくあることですけど。
山からこもった方がいいかどうかは私にしてみれば基準があって、ゾクチェンで言うところのシネーの境地のためにはこもった方が良くて、ヴィパッサナー状態であるところのテクチュの境地に移行したら街で趣味のように暮せばいいと思うわけです。
ですが、それすらも趣味みたいなものですので、どうでもいい... とまでは言いませんけど、好きにすればいいのです。
シネーの境地というのは雑念がなくなったり抑えられている状態ですので、その境地のためには街にいるのではなくて静かな山奥などに行くか、街にいるにしても仕事を辞めて静かな数年間を過ごす必要があるかもしれません。もはや、この時点で趣味の感覚が満載ですよね。
そして、テクチュの境地と言うのは静かな状態のまま活動できるヴィパッサナー状態のことですので、そうなれば山に籠っている必要はなくて街で変化を楽しめば良いわけです。そうなっても山に篭っても良いですし、どちらにしても、趣味みたいなものです。
テクチュの境地に至る前のシネーの境地以前に街にいると他人に翻弄されて他人の影響を受けやすいため山に篭った方が良いと個人的には思いますが、それでも街で精神訓練することもできますし、そんなのは、好きにすればいいのです。
私には私なりの見解があって、この時はこうすればいい、と言う理解はありますが、それが全員に適用できるとは限りませんし。
テクチュの境地で街中で暮らして生活を楽しんでいる方もたくさんおられますので、街で暮らすのも悪くはないと思います。
まあ、どちらにしてもこの世の中は趣味で出来ていますよね。山に籠ると言う趣味もたまには面白いのかなとは思います。
私の過去の記憶とかを引っ張り出してみますと特別に今の時代が精神的に進んでいるかと言うとそうでもない... と言いますか、そもそも時間なんてものは幻で、今の時代に生きている魂が死んでから少し過去の時代に転生ということもありますから、あんまり過去とか未来とか関係ないと思います。
どの時代にも進んだ文化や精神があって、それぞれの魂が自分の趣味で住むところを選んでいるという、ただそれだけのお話です。