意識が拡大するにつれて体の周囲のオーラの境界を感じるようになりました。
心が穏やかになり、意識が広がると、体のオーラと外側との境界がザワザワとした水面のように感じられるようになったのです。
それは、シュタイナーの説く境域の守護者かもしれませんし、単なるオーラの壁のようにも見えます。
体と、体の近くに存在しているオーラまでが内側です。オーラの外側との境界がそのように濁ったようなザワザワしたような水面あるいは灰色の雲のように感じられます。
内側から見るとオーラの境界のざわつきであり、その外側に広い世界が広がっています。
外側を感じることを意識の拡大といえばそうでしょうし、この、内側から外側を見たときの景色をシュタイナーの言う境域の守護者だといえばそれはそうかもしれません。
内側から曇りガラスを通して外を眺めるとよく見えないのと同様に、曇ったオーラを通じては外がよく見えません。
外側に立っている守護霊や友人知人の霊などの存在を見て、それがよく見えない初期の段階のことをシュタイナーは境域の守護者と呼んだのかもしれません。なんとなくそんな気が致します。
精神的訓練を始める前は完全にオーラが濁っていて何も外が見えなかったりしますが、やがてオーラが純化されてきて雲の色が次第に白くなってゆき、まだ曇ってはいるものの霧が次第に晴れてきて外側が見えるか見えないくらいになったとき、その時、初めて外側の景色を曇ったオーラを通じて見たら、それは雲のようにぼやけた霊の体のように見えるかもしれません。それを境域の守護者とか呼んだのかもしれません。
境域の守護者とか言っているのはシュタイナーくらいですが、確かに、曇ったオーラを通して外を眺めるとそのように見えるかもしれません。シュタイナーは存命ではないのでこれは想像になってしまいますが。
シュタイナーは境域の守護者を突破して霊界への扉を開く、と言うようなことを言っています。
であれば、その段階とは、意識が次第にクリアになってあと少しの曇りが残っている状態になって外がようやく見え始めた段階のことを言うのかな、と推測できます。
瞑想中に一瞬見えた小悪魔の影もそれに準じたものかもしれません。
この推測が正しいのであれば、それは境域の守護者とか大そうなものではなく、見えたものがそのようにも解釈できる段階に達した、と言うことなのでしょう。
ゾクチェンで言うテクチュの境地がこれに該当するのかなと思います。テクチュは曇りがある程度晴れてはいるものの完全に晴れてはおりませんので似ている気が致しますし、段階的にも合っています。
まあ、本人に聞くことはできないので想像です。ですが、そんな気が致します。