3つのグナとコーザル体

2020-03-12 記
トピックスピリチュアル

クリヤヨガは他のヨガの体系と少し異なった理論を展開しているように思います。それによりますと、3つのグナはそれぞれ以下と関連があると言います。

■3つのグナ
タマス:物質・肉体
ラジャス:(神智学で言う)アストラル体、心
サットヴァ:(神智学で言う)コーザル体
「Kriya yoga Darshan(Swami Shankarananda Giri 著)」

これに更に、瞑想の境地の対応付けを私の理解に基づいて付け加えます。

■3つのグナと瞑想の境地(私の理解)
タマス:物質・肉体
ラジャス:(神智学で言う)アストラル体、心、ゾクチェンのシネーの境地。精神的な集中。禅定。サマタ瞑想。(一部の)サマーディ
サットヴァ:(神智学で言う)コーザル体、ゾクチェンのテクチュの境地。ヴィパッサナー。(本来の)サマーディ

ヨーガでは3つのグナを超えたところを目指します。一般的にヨーガをしている人はサットヴァな清浄な境地を目指しますが、サットヴァの清浄な状態すら超えたところに更なる境地、いわゆる解脱だとか悟りだとかモクシャ(解放、自由)と言われている境地があると言います。

この、3つのグナを超えた境地はゾクチェンのトゥガルの境地に対応しているのではと思います。いわゆる悟りであるわけですが、悟りというと手に届かないものに思えてしまいますが、こうして段階的に並べてみるとそのステップが明らかになるわけです。

最初はラジャスですのでいわゆるサマタ瞑想で精神的な集中をしてゾクチェンのシネーの境地の平安な状態を目指します。

その後、サットヴァに達したらそれはゾクチェンのテクチュの境地ですので更なる平穏な状態になるわけです。

ゾクチェンに基づきますとテクチュの境地からその先のトゥガルの境地までは一続きですので、ラジャスからサットヴァの境地に上がることができさえすれば着実に悟りだとかモクシャだとか言われている状態に辿り着くと思われるのです。・・・まあ、このあたりはまだ仮説ですが。

最近は言葉が混乱してきて3つのグナとかサットヴァが様々な意味で使われていますので判断が難しいのですが、上記の区分で考えた場合、ゾクチェンのテクチュの境地に相当するサットヴァな意識に到達するのはそれなりにハードルが高いのかなと思われます。それはヴィパッサナーやサマーディと同等の意識状態であるわけですが、なかなかそこまで到達できないような気もします。

そうは言いましても、道は割と単純で、脇道があるようでいてそれほど脇道もなくて、流派がたくさんあるように見えて実際はどれも基本はこの道ですので、実は精神修行というのは基本は凄くシンプルなのではないかなあ、というのが最近の実感です。

人の嗜好に応じて色々試したり好きなものを選べばいいとは思いますけど、そこで鍛えられる根幹の部分は同じのような気が致します。