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教会は、ただ神だけを説くべきだった

2020-03-13
トピックスピリチュアル

私のグループソウル(類魂)に大航海時代のヴェネチアで大司教だった魂がいますが、その魂は、教会に恐怖という概念を残してしまったことに後悔しているとのことでした。

本来ならば神だけを説くべきだったのに、世相に対して教訓を説いたために恐怖が乗ってしまった、というのです。

日本ではそうでもない気もしますが、ヨーロッパの特にカトリック系の教会では独自の教訓として戒めのお話だとか悪魔の話だとかを聞かせるので、教会や天使・悪魔に対して怖い印象を植え付けられている人がそれなりにいらっしゃいます。

そのことを、とても後悔していました。

・・・まあ、類魂ですので部分的には私の過去生でもあるわけですけれども、確かに、過去の記憶を辿っていきますと、私自身、本当の神を当時はそこまで深く理解していなかったのかもしれない、という気も致します。

それなりに純化されていて聖職者としてやっていくだけの精神状態にあったとしても、本当に神を知るということはなかなか難しいことでありますし、知っていたとしてもその深さを追求していったら限りがありませんし、それを他人に伝えるという点で誤解があったりして難しい面があると思います。

第一に自分自身が純化すべきという点で、当時の教会には部分的にヨーガの知識も入ってきていたような気が致します。当時の司祭たちもヨーガの真似事をして、ヨーガはキリスト教の助けになる、という理解でいたようです。特にヨーガを否定することなく、受け入れていたように思います。

思えば、私の類魂の大司教の一つ前の代の大司教がとても素晴らしい方で、はっきり言って私の類魂よりも素晴らしいと思える方で、誰しもが聖人だと認める輝きを持っており、人格も備わって、街の人々から尊敬されておりました。そんな聖人の後に続いて大司教になったわけですが、前代に対しての比較意識や気負い、新しいことをしなくてはいけないという焦り、あるいは、当時の世相に心を惑わされていた、という面もあったかもしれません。

そんなこともあり、当時、神の教えを説く時に当時の荒れ始めた世相に対して教訓として怖いことを説いたために現代に至るまで教会で恐怖を植えつけてしまうような風潮が残ってしまいました。

今から思えば、ただ神だけを説くべきだったのです。

世相は心惑わす現象であり、そのようなところにコメントしたところで本質的ではなく、心の平安は自分自身の中にあるのだから、心の平安を作るために教会はあるべきだったのです。

もちろん、そのような面もありましたし、祈りもありましたし、聖歌隊も浄化のために役立っていました。

しかし、それと同時に、恐怖という一面を教会に持ち込んでしまったのです。

それが、今日に至るまで特にカトリックの教会で「教訓」と消して恐怖を信者たちに植え込んでしまっており、それが故に天使などの導きを素直に受け取ることができない状況を作ってしまっている、という点について酷く後悔しています。

当時のヴェネチアは大航海時代の終わりを感じる黄昏の時期であり、まだまだ繁栄してはおりましたが商人たちが他の街に進出することで次第に衰退するのが肌に感じられる時代だったように思います。

そんな時代を反映してか、世相は廃退的になり、例えば音楽がクラシックからロックに近い早いテンポのものに変わったり、激しいダンスのようなものが流行したり、落ち着いて生活するのではなく激しく表情を出す風潮に変わっており、それに対して教会は危機感を感じていました。

教会は、そのような廃退的な世相を良くない風潮だと判断しており、もっと落ち着いて、文化的で、精神性の高い暮らしをするように人々を教育したかったのです。精神的に落ち着いた暮らしこそが神の道であると説きたかったのですが、世相に対してコメントしてしまったが故に、本来説きたかったこととは違う印象を与えてしまいました。

その結果として、人々が廃退的な暮らしを反省するのではなく教会や神に対する恐怖心が育ってしまい、それでも教会は尊敬されておりましたが、一部の人の中に拭うことのできないわだかまりが残ってしまったように思います。

教会の説き方として、廃退的な暮らしぶりを指摘してそれは良くないから神の道が好ましい、ということを説明すると、聞き手の方は廃退的な暮らしに対する指摘だけが心に残ってしまってわだかまりが残ってしまったのでした。神を知っていれば廃退的な暮らしが望ましくないと分かるわけですが、既に廃退的な暮らしに片足を突っ込んでいるような人に対して指摘したとしても恐怖心が育つだけのことでした。

これは、うまく教育できなかったこととして後悔になっているわけですが、流石に、廃退的な世相という大きな流れに対して道徳的な生活を呼びかけるというのは焼石に水とでも言いますか、なかなか難しいところではあったようにも思います。

当時の感覚としては、教会がうまく教育できないから人々が廃退的な方に向かってしまっているのだ、と感じておりました。実際そういう面もあったのかもしれませんが、大きな時代の流れだったのかもしれません。

そうして、一部には理解されたものの、多くに恐怖を植え付けてしまったわけですが、やり方としては、それほど良いものではなかったように思います。

当時、廃退的な文化を背景に、神をないがしろにする風潮が既にありました。このような、神をないがしろにする風潮は現代に限ったものではないようです。神は信用できなくて笑い飛ばすものだ、という風潮が既に一部にありました。唯物論の走りだったかもしれません。

一部の廃退的な人たちは、例えばロックに近い踊りを広めて人々を集め、人々が笑顔になるのを見て「これこそが本当の人間の生き方だ」と思いました。それは今も世界中で行われていることです。そうして、聖職者たちの中にも「そうかもしれない」と思う人たちが出て、やがては神の生き方で落ち着いて暮らすよりも、ロックな方を選ぶ人も出てきました。

私の大司教は、しばらくはその風潮を眺めてどういう状況なのか判断を長らく保留しておりましたが、やがて、首謀者らしき人物がかつての聖職者たちを見てニヤニヤした顔つきで見下しているのを発見し、「これは良くない」と判断して廃退的な風潮を更に激しく追求し始めましたが、多くの人々はそれが理解できず、そうこうしているうちにヴェネチアは衰退し、多くの人々がヴェネチアを離れて行きました。

死後しばらくして、ヴェネチアは静かな港町になりました。かつての廃退的なロックも消え失せ、静かな港町になったのです。皮肉なものです。衰退して静かな世界を取り戻したのです。しかし、当時に指摘した風潮は広く世界に広まってしまいました。

今から思うに、やはり、神のみを説くべきだったのです。
そして、神を説くためには自分自身が誰よりも神と共にあるべきだったのです。
他人に何かを伝えるのは難しく、全てを伝えるのは不可能に近いですが、それでも、自分がまず深く理解すれば何分の1かは伝わると思うのです。

その基本に忠実になるべきだったのであって、恐怖だとか教訓だとか、そういうものに頼るべきではなかった、というのが今の元大司教の魂が考えていることのようです。

その後、その大司教の魂はいわゆる「聖者」として認定されているようです。裏を取ろうと思って史実を調べようと思いましたが、良くわかりませんでした。

聖者認定されるには奇跡を起こす必要があって、この場合、死後の葬式の時に誰も動かしていない、直径1mあるかないかの鐘を魂の状態で動かして何度も鳴らすことで奇跡を起こしました。実は鐘というのは振り子の法則が使えますので何度も何度も力をかければ少しづつ動くので、実際のところ、死後に動かしやすいものの1つかなと思います。

その時、同僚たちは私をそれほど聖者とまでは思っていなかったのですが、鐘がなったことにより「おお・・・。○○大司教は聖者だったのか・・・」と認識したようです。

そして、死後の何周忌かの時、おそらく7周忌くらいの時にも同様に鐘を付きました。その時も驚きが起こりましたが、反応としては「○○大司教は我々を見て守って下さっている」という印象だったようです。そして、たしか30周忌くらいにも同様に鐘を鳴らしましたが、この時はこの出来事が予想されていたのか、誰も驚くことなく列席者が並んで静かに頭を垂れて感謝を捧げておりました。

私くらいの魂でもこのくらいのことができますので、意外に「奇跡」というのは敷居が低いのかもしれません。
むしろ、私よりも遥かに悟った人ならば、わざわざそんな奇跡なんて起こさないような気も致します。

それよりも、神を知って神を伝えることの難しさの方が遥かに上のような気が致します。



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