集中するという意味合いにおいて1つの流派を続けた方が良い

2020-03-18 記載
トピックスピリチュアル

精神修行においては1つの流派を続けた方が良いとはよく言われていることです。それは宗教的な意味合いで独善的であっては良くないですが、それでも、1つの流派を続けることのメリットはあると思います。

精神修行ではある種の「型」と言うものがあって、マントラや座り方や体操の仕方および儀式のやり方まで様々なものがあります。

そのような儀式はある種の法則性で成り立ってはおりますが、主に文化的背景が強いためにもともと精神性が高くして生まれた人であってもそのような作法はそれぞれの生で学び直す必要があります。

キリスト教にはそのやり方があり、ヨーガにもそのやり方があり、修験道や仏教にもそれぞれのやり方があります。

ですから、昨今の宗教はどれをやっても最終的な解脱に基本的には辿り着くはずなのですが、色々やっていると型を学ぶところで労力を使いすぎてしまい、ゴールには行き着くのが難しくなるのだと思います。

宗教や流派の問題点として自身の派閥に絶対的な信頼を置いてしまうが故に独善的になったり自身の流派が最高だと考えてしまうような弊害もありますが、それでも、自分の流派に集中することは良いことだと思います。

基本はどれをやっても良いのですが、本来の修行ができるためにはある程度の慣れと修練が必要というわけです。その準備段階に意外に時間がかかるためにあれこれやらずに1つだけに絞った方が本来の修行が効率よくできると思うのです。

まあ、実際には流派によっては辿り着いている境地が違いますから本当に上を求めるのならば選ぶ必要があるのかもしれませんが、そこまで辿り着く人はそれほどいませんし、近所でやりやすいところを選ぶので十分だと思います。近所で師匠が見つけられるのならばそれが一番です。あまり最高の師匠とか求める必要はなくて、型を教えてくれて基本を教えてくれる師匠がいれば大抵の場合は十分のように思います。

このあたりは、人間の師匠に関していえばなかなか見つけるのが難しいですが、霊界の師匠は割と大勢いるように思いますので、導きがあればそのような指導霊をつけるのが一番のようにも思います。霊界の指導霊くらいになりますと流派なんてそれほど関係ないみたいですので、流派が違っていても色々と教えてくれます。

何せ、人間の指導者とは比べ物にならないくらい通し目が効きますし、物事の道理や今必要な事柄など明確に教えてくれるので、まあ、そういうこともあって、私なんかが思うには、近所で通いやすくさえあれば流派はどこでもいいのかな、とは思うわけですけれどもあまり色々探すよりは1つを集中した方がいいかな、と思ったりもするわけです。