キリスト教などで天使と悪魔が語られていますが、実際のところ、両方とも天使だったりします。ですが、それはなかなか理解し辛いのではないでしょうか。
以前に夢で見た天使界の物語を載せましたけど、このお話は天使と悪魔に関する示唆に富んでいます。
一見すると戦いに勝って「善」の名乗りを上げたルシファーは、その時は完全なる「善」となり、戦いにわざと負けたミカエルは当時「悪」とみなされました。
しかし、実態はというと、ミカエルはただ防戦していただけであり、ルシファーは相手の中に悪を見ていた... というか、ルシファー自身の心の中の闇こそが悪魔だったのです。
ミカエルは何とも思っておりませんでしたが、ルシファーはミカエルと話をするごとに不機嫌になり、ミカエルが悪魔だと主張するようになってきました。その不和が王国に広がり、やがては戦いが始まり、戦乱の渦に飲み込まれたのです。
悪魔がいるのではなく、自身の中にこそ悪魔がいた、ということです。悪魔という存在を自らの心の中に作り出してしまい、それを相手に投影していたのです。
この時は、ミカエルは完全なる善でしたが、ルシファーの中にあったわだかまりや怒りが相手に投影され、この場合はミカエルを悪と認識したということです。
このようなことは現実でもよく起こっています。
天使と悪魔という対比だけでなく、善と悪も似たようなものです。
そうは言ってもミカエルもルシファーも大天使ですから、我々人間からすればどちらも手の届かない崇高な存在であります。
そのような存在であっても不和が生じ、天使と悪魔と分かれたりするようですが、その姿は、実際とは異なるということだと思います。
世間一般では、戦いに勝つと善であり負けると悪とみなされます。この場合は戦いに勝ったルシファーが善でありミカエルが悪とみなされ、それゆえに、ルシファーが天使でミカエルが悪魔とその時はみなされました。
ですが、実際の姿としては、ミカエルにわだかまりや怒りはなく、ミカエルこそが天使でした。そして、怒りに震えていたルシファーこそが悪魔とも言える存在になっていたのです。
ですから、天使と悪魔という存在は表裏一体で、時と場合、見方によってそれは変化するわけです。
ミカエルは堕天使あるいは悪魔というレッテルを一時は受けたわけですが、それからもわかるように、悪魔というものが必ずしも悪い存在ではないことがわかります。
それよりも、ルシファーのように天使を名乗りながら怒りに満ちた存在の方が厄介です。
天使も悪魔も、割と人間と近い部分があるように思います。
今はどちらも天使で通っており、それでいいと思います。このあたりの複雑な事情はなかなかに理解が難しいですし、悪魔と見る判断そのものが視界を曇らせる気も致しますし。
[2021/5/1追記]
物語ではわかりやすいようにあのような名前を使って伝聞されて記憶されていましたが、実際のところ、物語でミカエルとして描いた大天使の本当の名前がルシファーで、ルシファーとして描いた天使はアマテラスのような天使で、アークトゥルスとして描いた天使がミカエルという名前でした。そのうち本当の名前に直そうかと思いつつそのままにしてあります。
と言いますのも、本当のルシファーは地球上で活動する時はミカエルと名乗っていたりするからです。ですから、実態としては割と正しいのですが、本当の名前での物語が語られていない、ということです。それはそれで特に問題なくて、本当のことを広げる必要はさほどない、ということのようでもあります。