同調圧力に屈しない、あるいは逃げる必要性


特に義務教育の現場では同じ人と長く付き合いますので同調圧力が生まれ、先生もそれに加担しますので同調圧力に屈しないのは並大抵のことではありません。人は自由意志がありますから付き合う人を選べるのが本当ですが、義務教育あるいは狭いコミュニティにおいては他人を強制・操作・共依存に落とし込もうと言う罠が沢山あります。

子育てであれば子供が警告を発しているサインを見逃さないことが重要ですが、親が同調圧力に加担している場合もあります。

子供は親を選んで生まれてきたなんて言いますけど、そう言う人もいる、と言うお話であって、全てではありません。

なんとなく生まれた場合は、適当にそこらの親を選んだだけです。

よくスピリチュアルで言うように「母親を選んで生まれてきたのです!」なんて大そうな選び方をする場合ももちろんありますけど、半分以上の場合は なんとな〜く 選んだと言うのが現状です。

ですから、親も なんとな〜く でしょうし、子供が生まれても なんとな〜く です。 そんなもんです(苦笑)

意識的に霊的成長を願って親を選ぶ場合ももちろんありますけど、その場合はわざわざこんなこと言わなくても本人はわかっています。

選ぶと言うことで言えば、厳しい環境に自分を突き落とすことで社会勉強をする場合もあります。

宗教や精神的なこと、あるいは自然に基づくことに興味を持っている親を選んでいる場合は、人生ゲームの難易度は「スーパー・イージー」です。まあ、それで十分です。別に悪いことではありません。それで全く問題ありません。

なんとな〜く 選んだ場合は人生の難易度は「ノーマル」です。

宗教や精神的なことを否定する唯物論の親の子供として生まれる場合は人生の難易度は「ハード」です。

ドメスティック・バイオレンスの親の子供として生まれる場合の人生の難易度は「エクストリーム」です。

人生ゲームは、一つ間違えるとライフが1つ減ります。なくなるとゲームオーバーです。そんなもんです。

ただ、復活の呪文みたいなのがあって、ライフがゼロになってもある程度は復活したりしますけど、難易度は変わりません。

私の場合はこの復活の呪文は胸の中にある「光の玉」で認識していて、生まれる時に私の場合は3つ持って生まれました。そして、小学校の頃までに早速その3つを使い果たしてしまいました(苦笑)私の場合、難易度は「ハード」でした。

エクストリームの人生は私には無理ですねえ・・・、きっと。エクストリームでゲームオーバーで死亡する人は致し方ない気も致します。人生ゲームの難易度が高すぎます。

難易度「ノーマル」以上ですと周囲に強制・操作・共依存をしてくる人がわらわらと寄ってきますので、それに囚われてしまったらライフがどんどんと減ってゆきます。

人生の第一目的は生き残ることですから、立場が悪ければ逃げればいいのです。そして、ゲームのように、うまく立ち回れる場所で活動すればいいわけです。相手の術中にはまってライフを奪われ続ける必要はないわけです。

強制・操作・共依存をしてくる相手は「逃げるな」とか言ってくるでしょうけど、それこそ相手の思う壺で、相手のルールにのっとる必要は全くなくて、人生ゲームは自分でルールを作れますから自分のルールで生きればいいわけです。強制・操作・共依存をしてくる相手は自分のルール上に相手を乗せたいだけで、相手のことを思っているわけではありませんから、そこは見抜く必要があります。

古典のヨーガスートラや仏教の四無量心(慈悲喜捨)のうち「捨」として語られていることに、「不徳の人に会ったら無関心になりましょう(捨)」と言うことがあります。これが正しいのであって、相手と付き合う必要はないのです。相手は選べばいいだけです。

オーラ的にも相手に関心を持つとオーラ融合してしまって相手と一緒になって落ちてしまいますから関心を持たない方がいいですし、瞑想という観点からもそのような不徳な思いに囚われずに流してしまうことが正解です。

この世は魑魅魍魎の世界ですから、修羅たちが争っているところに混ざる必要は全くないわけです。