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形状が表面化すれば現実が潜在する、と言う昔からの教え

2020-07-13
トピック: スピリチュアル

ヨーガの世界では、例えクンダリーニが活性化してもやがて「普通に戻る」と言うお話があります。あるいは、歓喜が現れても「やがて普通に戻る」と言うお話があります。

これは、普通に聞いてしまうと「後退」のように見えてしまうかもしれませんが、実際は、これは進歩であると言います。

その理屈を説明するのは難しいのですが、仏教の教えを使って説明するとこうです。

修行の未熟なうちは、見えたり、聞こえたり、または触れたりした時に、形などの形状が先に立ち、はっきり現れてきます。「ミャンマーの瞑想(マハーシ長老 著)」

一方で、段階が進むとはっきりした形としての現れは減ってゆき、チラリチラリと滅する想念が認識できるようになります。

これは、最初に感じた時は「調子が悪い」とか「うまく瞑想ができていない」「後退したのではないか」と思うかもしれません。私もそうでした。しかしながら、ヨーガでの体験談にもあるように、あるいは、仏教でこのようなお話から読み取れるように、それは正しい成長の過程であることがわかります。

そのことを、昔からの言い伝えで以下のようにいいます。

形状が表面化すれば現実が潜在する。
逆に、
現実が表面化すれば形状が潜在する。

「ミャンマーの瞑想(マハーシ長老 著)」

形状 → 表面上の物や形、印象
現実 → 全ては滅するという本質

表面上の印象や形状が表れているときは本質は潜在し、本質が認識されているときは表面的な印象や形状が捉えられなくなる、ということのようです。

これは、同書によれば「念が清浄になった」と言うことだそうです。

はっきりと感じられなくなったことが実は「清浄になった」ことを示すのだと言うお話は、言われないとなかなか気付けないような気も致します。

私の場合、これらの状態になった時に一旦は後退したのではないかと思って色々とやってみました。普段通りの瞑想やヨガだけでなく、試しにテレビゲームなどの修行の妨げになるようなことにも熱中してどうなるか試してみたことがあります。

そこでわかったのは、やはり、モヤモヤとした昔の(ヨガでいう)タマスな愚鈍な状態と、これらの「うまく言えないけれども、うまく瞑想ができない、何か調子が悪い状態」とは明確な違いがあるということでした。

一旦、テレビゲームをしてタマスな状態を一時的に作り出した時に昔ながらの懐かしいタマスを思い出し、その後、再度、瞑想をして清浄な状態まで再度一歩一歩状態を確かめながら元の不思議な状態まで変化を確認したことがあります。

それでやはりわかったのは、「不思議なモヤモヤとした何となく調子が悪い状態」はやはり、いわゆるタマスな愚鈍な状態とは明らかに異なるということです。

夜は意識がはっきりしていますし朝は割と早起きできますし、それでいて以前のような愚鈍なタマスな状態とは違った不思議なモヤモヤとした感じです。

そこらの瞑想やヨガの先生に言っても、きっと理解されないでしょうから特に相談はしていないです。言ったところで「タマスですね」と言われるだけな気がします。ですが、これは表面上は微妙な違いですが内面は非常に違うものであると思われるのです。

「清浄になったからこそ、不思議な、何か調子が悪い状態」が生まれるのだ、ということは確かにあるのだと思います。



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