テレパスのテレパシーは空気を読むことと同義

2020-07-28 記載
トピックスピリチュアル

テレパスというとSFで出てくるテレパシーを使える人のことですけど、テレパシーを日本語でわかりやすく表現すると「察する」とか「空気を読む」という能力です。

こう言われると「な〜んだ。そのくらい私もできるよ」という方が大勢おられると思います。そ〜んなもんです。

特に日本人であればテレパスなんて当たり前に近いものです。その能力の強さに違いはあれど、かなりの人がテレパスであると言えます。

日本人であっても空気を読めない方がいらっしゃいますけど、そう言う人はテレパスではないのです。外国人で空気を読めない、と言う場合もテレパスではありません。もちろん外国人にもテレパスはいます。

この社会の構造はテレパスではない人によって作られておりますので、テレパス型の社会に変革する必要を感じております。特に非テレパスのシステムは日本人には合わないでしょう。

例えば、日本社会でありがちな「リーダーシップに欠ける」とか「トップが責任を取らない(連帯責任にする)」と言うのもテレパス型社会の特徴であると言えます。テレパスですと思考がお互いに行き来しますので「わたし」とか「相手」と言う感覚が希薄になります。アイデアであっても自分のアイデアなのか相手のアイデアなのかよくわからないことになります。

その人たちのところに非テレパス型の社会構造を持ってきてトップが成果を全て手に入れる資本主義システムを適用しているわけですからトップにしても「俺が決めたのではない」となるのは当然のことでしょう。テレパス型の社会は全体の思想が強調して動きますからトップの責任というよりは全体の責任になります。それ故に無責任社会になると言えます。

非テレパスのシステムにもメリットはあって、素早く大きく変えるにはリーダーシップが向いています。この辺りは一般に言われている通りです。ですけど、テレパスの人たちに向かってリーダーシップがどうこう、というお話をしても響かないのが現状なのではないでしょうか。

特に日本人は、自分たちがテレパスで他の民族の多くはテレパスではない、という自覚が必要だと思います。多くの日本人は外国人に向かって「空気が読めない人たち」とか言っていますけど、テレパスではないのでそこには超えられない壁があるのです。そんな、空気を読めるかどうかで嘆くよりも非テレパスの人たちとの付き合い方を学ぶべきかなと思います。

これは単純に「外国人が空気が読めない」ということでもありますけど、その奥には、テレパスの社会かどうか、という根本が違っているわけです。多くの日本人はそれを言語が原因だとか日本人が英語を学べばコミュニケーションギャップが解消するとか思っていますけど、問題はそこじゃありませんから。テレパスかそうではないか、というのは根本的に違うということを理解すべきだと思います。

テレパスは相手にもテレパスであることを期待しますし求めますけど、それを外国人に求めるのはかなり無理難題でかなりの時間がかかる(無理ではない)ということを理解しておかないと日本人が国際社会でうまくやっていくことは難しい気が致します。

テレパスの基本は単に雰囲気を読むことですけど相手の思い描いている背景を読み取るなんてのも普通にできます。というか、みなさん、普通にしていますでしょう? それができない、空気が読めない、つまりはテレパスではない人がこの地球上に多くいるということは知っておいて無駄ではないと思います。



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