今までサマーディと言ってもスローモーションあるいは静寂の境地のようなものでした。
しかし、ここにきて、ほんの少しですが視界の先に地平線のようなところまで続いている感覚が出てきたのです。
瞑想を終えて視界を確認すると、静寂の境地に至っている場合は部屋の壁がはっきりと見えてスローモーションのような感覚が出ます。それに加えて、単なる壁である筈なのにそれが地平線の先まで奥行きがあるかのような錯覚? が時々現れるようになりました。
それは割と短い間隔で消えてなくなってゆく感覚ですが、これがいわゆる「彼岸の知識」というものなのかもしれません。
確かに、「彼岸の知識」というと個人的にはまだしっくりきませんが、それよりも、「地平線にまで続く感覚」ということであれば自分の感覚と合っています。人によっていろいろ言い方はあるでしょうし、もしかしたら同じことを表現しているのかもしれませんね。
目に見えている物体はそれ自体で存在していますが、それぞれの物体はそれぞれ「彼岸」あるいは「地平線の先」にまで遠く伸びていて、その地平線の先ではおそらく消えているのかなと思います。
これは視界として地平線が見えているということではありません。なんとなく地平線のようなイメージはちょっと浮かびますがそれは感覚的なもので、物体そのものというよりは物体の少し背後、少しズレた背後からそのまま後方に地平線の先まで何かが伸びていて、おそらくはその地平線の先では消えているのかなと思います。
地平線の先が「無」あるいは「空」だとすれば、物体はその実態が目に見えてはいるもののその実態が「空」であるというどこかで読んだ知識と一致します。
主体の感覚は自然に静まっていき、修行者は原初的な知恵を経験する。対象が生じると同時に、それがみずからの空性の境地と同じく、空であることを認識するのである。空性と顕現の統一の境地、そしてその境地そのものと空性が、ともに存在しているということが、すべて同時に経験される。「虹と水晶(ナムカイ ノルブ 著)」
この境地を垣間見たのかな、という気も致します。