悟っていると言われて試される

2020-09-08 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

朝、瞑想から終える瞬間に目の前の2〜3m離れたところにある窓の空間から「悟っています」と話しかけられました。明らかにこちらに向かって言っていた思念波でしたし、あまりにも唐突に言われたので「はい?」と疑問符が頭の中にいくつも浮かんでしまいました。姿は見えませんでした。空間が私に話しかけてきました。おそらくそこに何某かの意識体がいたのだと思います。

特にここ数日で大きな変化があったわけでもないですし、基本的には静寂の境地の瞑想をしていたわけで、それ以上になったわけでもありません。

何だろうな・・・? と、あまり腑に落ちないでいました。 ひょっとして、悟りってこの程度のものだったのかな・・・? と少し考えてみましたが、どうもしっくりきません。

私の中の悟りというのは、いわゆる「宇宙意識」と一体になって自他の区別がなくなるのはもちろんのこと、他人の思考や民族・集団としての集合意識もよくわかるようになり、それだけでなく、意識的に時空を超えて過去と未来を行き来できて見てこられる状態にまで達して初めて悟りだと思っているわけです。

宇宙意識にしても最初は「一瞥(いちべつ)」とでも言えるような瞬間的なものから始まり、それはまだ悟りではなく、意識的に宇宙意識とほぼ常に繋がって時空を超える際も意識的に行えるようになってようやく悟りと言える状態になるのだと思うのです。

ですから、いくら、空間にいる何某かの意識体から「悟っています」と言われたからと言って、それを鵜呑みにはできないのです。

数日経って、気持ちの整理がついた今、おそらくそれは、「悟っています」と言われた時にどのように反応するのか、心の状態を試されたのではないかなと思います。そう考えるのが一番しっくりきます。

試されたからと言って、その意図がきっとある筈ですけどそこまではまだわかりません。単に守護霊が成長を確かめるために意図しただけかもしれませんし、あるいは、もっと重大な意味があるのかもしれません。とは言いましても、そんなことを気にしても仕方がないのです。そのように、想像を膨らませることも含めてどのように心が反応するのか、最初から最後まで全部試されていて、全てお見通しなのかな、という気が致します。であれば、取り繕っても仕方がないですしね。

私はきっと試されたのだと判断しましたけど、実際は違うのかもしれません。ですけど、それもまた、どうでもいいことです。