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般若心経の空即是色はサマーディの一部
2020-09-24
トピック:
スピリチュアル
:
瞑想録
ここ最近の理解
に基けば、般若心経の空即是色も説明できることに気がつきました。
要素がいくつかあります。
・サマーディは
不二の意識
を土台とし、
平穏な状態
・
静寂の境地
を伴う。
・空の意識は「
あちら側
」に偏在する。
・
空の意識から雑念・概念が現れ、そして、それは空へと消えてゆく
・人が対象を意識して概念を持つことで実態が現れる(存在する)というヴェーダンタの知識。
般若心経の空即是色とは、空である「あちら側」から概念・想念が現れ、そしてまたあちら側へと消えてゆくという状態を説明しているのだと思います。サマーディの一部です。
不二の意識を土台とし、
三密に相当する意・口・身
が整った時に
テクチューとトゥガルの境地
に達し、般若心経が真実だとわかるわけです。
具体的には、トゥガルの境地においてはいわゆる「空」である根本のエネルギーが顕現して「思い」という形になって現れることを認識します。そして、その「思い」はまた「空」であるところの根本のエネルギーへと返ってゆくのです。そしてヴェーダンタの知識により、その「思い」こそが実態を存在させているものだと理解するのならばこれは般若心経の空即是色そのものであることが理解できるわけです。
このヴェーダンタの知識は更に修行が進めばより具体的に自分で確信が持てて理解できる内容のようですが、私の段階ですと実際に瞑想で体験できるのはトゥガルの境地においてエネルギーから思いが顕現してそれがまたエネルギーへと返ってゆくという部分を体感するところまでです。その瞑想の体験に加えてヴェーダンタの知識を加えることで般若心経が理解できるわけです。
これは、土台としてサマーディの不二の意識があります。
不二の意識
とは最初は「雑念がない平穏な意識」から始まりますがトゥガルくらいまでサマーディが深まると「雑念があっても妨げられずに観察する平穏な意識」であるところの不二の意識に変わります。その状態において雑念を不二の意識で観察すると雑念が「あちら側」の空とでも呼べるものから生じ、また、その雑念が「あちら側」の空に返ってゆくのがわかるのです。
ここで概念的に「空」と呼んでいますけど、概念が出てくるのは実際には「漆黒のもやもやとした平らな雲」から風船が膨らむかのように浮かび上がってきますので、これが本当に皆さんの言っている「空」と一致しているかどうかは分からなくて、ですけど、内容的に「空」であろうと推測して空と言っています。ゾクチェンの本を読むとこの根元の部分は「空」とは言わずに単に「根本のエネルギー」と呼んでいますので、私としてもその方がしっくりきます。しかしながら、日本の場合は般若心経が有名ですので「空」と言ったほうがしっくりくるので度々そう言っています。
これは想像上の事項ではなくおそらく誰でも瞑想で確かめることができる事柄です。
これらは不二の意識を土台にしていますので、その不二の意識そのものは清浄な意識ですので思考ではなく、よって、上記のヴェーダンタの知識をどうこう考察したりはしません。瞑想中は不二の意識ですので、ヴェーダンタの知識で解釈するのは意識を使いますから、それは瞑想が終わった後に行うわけです。ヴェーダンタの知識以外は瞑想中の体験および前提となる不二の意識の状態で、それらの瞑想体験をヴェーダンタの知識を使って解釈すると上のように理解できる、というわけです。厳密にいうと瞑想が終わった後にも不二の意識は働いておりますが、便宜上、このように説明しておきます。
ちなみに、「空(くう)」というと2つの意味合いがあると思います。
・意識の状態としての空。ゾクチェン的には
テクチューの状態が空
。覚醒の意識を保ちながら清浄な意識でいること。
・根元のエネルギーとしての空。ゾクチェン的にはおそらくはこれは単なる「根本のエネルギー」。エネルギー的な顕現とそれがエネルギーへとまた返ってゆくさまを見つめるという意味においては
ゾクチェンのトゥガル
に相当。おそらくこれを「空」と呼ぶのは歴史的な経緯があるのかなと。流派にもよりそうです。単に「根元のエネルギー」と言ったほうがしっくりきます。もやもやとした雲のように見えるので「空」っぽいと言われればそうかもしれませんが。
これらは表裏一体ですが、般若心経が言っている空即是色とはおそらく後者のエネルギー的な空としての意味合いなのではないかと思います。もちろんその前提として意識の状態としての空も前提としてありますのでそれも含意していると解釈することもできますが、文字そのものの意味としてはエネルギー的なものではないかと思うわけです。
「空」というと様々な解釈があって、私も、「空なのではないか?」という瞑想体験は今までも何度もしてきたわけですけれども、今になって思えば、テクチューの状態こそが空であるという理解が一番しっくりきます。
これで、般若心経の空即是色の謎が解けたように思います。
ただしこれは私の理解であり、各派の公式な見解とは異なる可能性があります。
とは言いましても、説明だけを見てみれば昔からどこかで聞いたようなお話も混じっており、目新しさはもしかしたらそんなにないかもしれません。しかしながら以前は「ほにゃらら? そうかもしれないですが。そんな気もしますが。」という感じで、わかるようなわからないようなボヤけた感じでした。それがここにきて、瞑想体験と結びついてはっきりと理解できるようになった気が致します。
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