先日のインナーチャイルドの経験の後、胸のあたりに圧力がかかって胸の真ん中に少しコアのようなものが感じられるようになりました。心臓のように左にちょっと偏っているわけではなくてちょうど真ん中な気が致します。そのコアのあたりで、ことあるごとに笑顔の顔が見えるようになりました。
これは瞑想中だけでなく普段の生活の中でことあるごとに見える気が致します。
この笑顔は、私が何千年も昔からずっと一緒にいる2人の天使のうちの1人のような気が致します。
思えば、ことあるごとに一緒に転生して私のよき理解者になってくれていました。今生では守護霊っぽい立場で見守っていますけど、いつものように笑顔でした。
もともとアナハタ優勢になって以降はオーラが優勢でしたけど、以前よりコアの部分が暖かい感じが致します。以前はコアはありませんでしたしね。その温かいコアの近くで笑顔が見える・・・ というと語弊がありますけど、胸のアナハタの温かいコアを感じると胸のあたり、コアとは重なっていないですけど胸の奥の、コアの横あたり、といいますか、胸の横あたりの空間に笑顔が浮かんで見える、というのが正しいでしょうか。
場所としては胸のあたりで中心から少し離れていて、そこは胸と言えば胸ですけどそこが空間だとしてその空間の方に顔が浮かんでいる、という感じです。
言葉で表現すると何言っているのか意味不明かもしれませんけど、実際、そんな感じです。
胸の横あたりにある空間に顔が浮かんで見える・・・ というのは、胸のコアの横あたりに空間があってその空間に顔が浮かんで見える、ということと似ているようでいてちょっと違うのですが、言葉で言い表すとそう言えなくもありません。とりあえずそう理解しておいてもさほど間違いではありません。
実際には、胸のあたりに空間があって、その空間は胸や私の体と重なって存在しているので、空間が別にあるわけではなくて、ただ単に空間が「たまたま」そこにあると言いますか、顔が浮かんでいる空間と、体と心およびオーラが存在している空間が「たまたま」一致していただけであって、胸のある空間と顔が見える空間とがたまたま重なって存在しているだけだと思いました。
胸のコアの横に空間があるというとその空間がある場所に胸や私のオーラは存在していないかのような印象を与えてしまいますけど、胸の横の空間があるところに重なって私の体の胸や私のオーラは存在していて、両方の空間が「たまたま」重なっているだけなんですね。そんな感じでした。
顔が見える空間が私の体や私のオーラを押し除けているわけではなく、顔が見える空間は胸の横あたりに「たまたま」「重なって」存在していただけだったように思います。ですから、私の胸とオーラは割といつも通りで、それに重なって「同じであるがちょっと違った空間」が存在していたわけですね。
同じであるがちょっと違う、というのは、意識や空間というのはもともと1つのものであって、地続きなものだと思うわけですよね。私の感じている空間と認識している空間とが同一になっているからこそ別の空間を認識できるwけで、空間を認識する時は時空を超えないと行けないのでその時は自分の感覚としては「おなじ」という感覚で認識されるものだと思います。その顔が浮かんだ空間は、そのような意味合いにおいて「(私が今いる空間と)おなじ」と認識したわけですが、実際はその顔はどこか少し時間軸あるいは時空がズレた場所に存在しているように思われましたので、そのような意味合いにおいて「ちがう」と言っているわけです。
う〜ん、やっぱり、これは読んだだけだと意味不明な文章かなと思います・・・。とりあえず、読み飛ばしてしまってもいいと思います。あくまでも瞑想録ですからね。
サマーディというのは自己と対象とが同一になった状態ですので、その時、空間が認識されて時空を越えるので「おなじ」と思われつつも同時に「ちがう」とも認識できるのかな、と今は解釈しております。